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福岡城跡に秋の訪れ

 

9月に入り少しずつ秋の気配を感じるようになってきました。

旧暦で9月は「長月」とも言われていました。

日増しに夜が長くなるので、「夜長月」から「長月」になったとも言われて

います。

さて、福岡城跡でも秋を感じるこんな風景が見かけられます。

 

(桐ノ木坂と淡く色づいた木々)

 

(三の丸広場のコスモス)

 

(多聞櫓と赤く色づき始めた木の葉)

 

ちなみに、福岡城の築城のきっかけともなった天下分け目の戦「関ケ原の戦い」

は旧暦の慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)のまさに「長月」でした。

関ケ原(岐阜県不破郡関ケ原町)が主戦場となり、徳川家康を総大将とし福島正則

や黒田長政等が中心となった東軍と、毛利輝元を総大将とし石田三成等が中心とな

った西軍で戦いました。東軍が勝利し、ここでの活躍などにより長政は徳川家康か

ら筑前国の50万余石(のちに52万余石)が与えられました。

 

こうして1601年から7年かけて黒田長政と父官兵衛は福岡城を築くとともに、

街道や宿場町を置き城下町をつくり始めました。福岡の発展は既にこの頃から始

まっていたのかもしれませんね。

 

(天守台から見た景色)

 

その後様々な歴史を経て、今ここ福岡城跡でこのような綺麗な秋の風景を見る

ことができ、とても感慨深い気持ちになります。

皆さまも小さな秋や歴史を感じながら福岡城跡をお散歩してみませんか(^^)/

 

夏から秋へ

 

9月に入り朝夕の涼しさや、陽が落ちる速さなどで、やはり少しずつ季節は移っていっているのだなぁと感じます。

今夏は前半は全くの雨なし、逆に8月初旬頃からはずっと雨続き、と極端な天候の夏でした。

 

福岡城内では

水かさのました堀に立ちすくむ(?)アオサギの姿や

 

 石垣の間からは小川のようなせせらぎ

 

そして探訪館の横に出来た水たまりは、まるで川のようだったり

と、いつもの夏には見かけない風景も現れました。

 

先日、鴻臚館跡展示館のそばで『露草(つゆくさ)』が咲いていました。

『露草』は万葉集の和歌でも歌われている植物で、歌の中では「月草」「鴨頭草」どちらも「つきくさ」の名前で登場し、他にも「ほたる草」「藍花(あいばな)」「青花(あおばな)」などの別名があります。

花は青色で珍しいため、染料にも使われていたとか。

 

朝顔と同じく朝咲いて、昼頃にはしぼんでしまうため、古来より日本人が儚さを感じる馴染み深い花だったようです。

 

初夏~初秋に咲く花ではあるのですが、俳句などでは秋の季語となっています。

私も露草を見ると何故か秋の気配を感じてしまいます。

秋草の中に埋もれながらひっそりと咲いている…子供の頃の思い出からくる心象風景なのかもしれません。

 

福岡城内は今ちょうど季節の変わり目、夏と秋が混在する時期にきています。

カエデの木も全体が黄緑~黄色っぽくなっています。

 

桜の木にも黄色に色づいた葉がちらほら見えます。

 

コロナウイルス感染拡大防止のため、当館も9/12までは休館となっており、なかなか足を運んでいただくことも難しい日々が続いていますが、秋に向けたイベントも色々企画しています。

 

この暑さを超えれば多くの人が城内で穏やかな時間を過ごしている…その日が一日でも早く来ることを願いつつ、スタッフ一同黙々と準備中です。

ご期待ください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

博多人形と黒田家

 

博多人形は、福岡県の伝統工芸品の一つで、福岡県の無形文化財に指定されています。

人形の発祥には諸説あるそうですが、福岡城築城の際、瓦職人・正木宗七が博多近郊の粘土を原料として城の瓦を焼いた余技に残りの粘土で素焼き人形を作り、藩主黒田長政に献上したものがはじまりとされています。

明治時代には、内国勧業博覧会やパリ万国博覧会に出品されました。その際、国内外から高い評価を受け、日本を代表する人形へと発展しました。

三の丸スクエアでは、博多人形作家協会の方が独自の解釈で作成された、軍師官兵衛の博多人形を展示しています。

 

 

 

こちらの作品は「土牢一年一失・活命を識る景」です。

 

作:熊谷 強 ・ 高山 高夫

 官兵衛(当時34歳)は、織田信長にそむいた荒木村重を説得するため、兵庫県伊丹市にあった有岡城に行きましたが、捕らえられ一年以上、土牢に閉じ込められました。その時に官兵衛の世話をしたのが、荒木村重方の牢番であった加藤又左衛門(重徳)(34歳)と息子・玉松(7歳)と言われています。これらの人形を見ていると、牢番の二人が官兵衛の世話をしているうちに官兵衛の人柄にふれ、慕っているように思えます。官兵衛と心が通じ合うようになったのですね。

 官兵衛は、無事解放されたあと加藤又右衛門(重徳)の子を立派な武士として育てたいと、のちに玉松を養子にして、長政と同様に養育しました。そして後に、玉松は三奈木村(現在の朝倉市内)に屋敷を構え、三奈木黒田一成として長政の側近になり、最も若くして黒田二十四騎の一人に加えられました。

 

こちらの作品は「備中高松城水攻め その時の景」です。

 

作:川﨑 修一 ・ 中野 浩

天正十年、毛利方の備中高松城を攻めている時に、本能寺の変で織田信長が明智光秀に討たれました。官兵衛は豊臣秀吉を慰め、今が天下取りの好機と天下をねらうよう進言しました。泣きくずれる秀吉と冷静な官兵衛をみていると、この一瞬がとても大事な場面に思えます。秀吉が天下取りの第一歩を踏み出したのですね。

そして毛利と講和を結び、『中国大返し』で兵を上方へ。そこで光秀を討ったのです。

 

「愛妻幸圓と共に和歌を楽しむ景」です。

 

作:国崎 正行 ・ 川﨑 幸子

 官兵衛は光姫(幸圓)と福岡城内の御高(鷹)屋敷(現牡丹芍薬園)や太宰府天満宮境内に隠居処を設け、連歌を楽しみました。

その歌の中に、官兵衛が黒田家と福岡の繁栄の願いを詠んだ次のような和歌があります。

   — 松むめや 末ながかれと みどりたつ 山よりつづく 里はふく岡 —

きっと、官兵衛は光姫の話に楽しそうに耳を傾け、お二人で笑いながら、仲睦まじく過ごされたのですね。 

 

博多人形は、見る角度によって、いろいろな表情を見せてくれるように感じます。現在は休館中ですが、再開館時には、ぜひ見に来てくださいね。

 

福岡市博物館特別展「徳川家康と歴代将軍」開催中!

 

7月16日から福岡市博物館で、特別展「徳川家康と歴代将軍~国宝・久能山東照宮の名宝~」が開催され、それに先立ち7月6日から、企画展「天下取りと黒田孝高・長政」も開催されています。

 

この企画展には、黒田孝高(官兵衛)ゆかりの刀である「へし切長谷部」や「日光一文字」などが展示されています。

福岡城むかし探訪館に、「へし切長谷部」のレプリカがあるのをご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、この「へし切長谷部」と館内入口を挟んで並べて展示している兜をご存知ですか?

 

これは、福岡藩3代藩主黒田光之が官兵衛の赤合子を模して作らせた「朱漆塗合子形兜(しゅうるしぬりごうすなりかぶと)」のレプリカです。

これらの本物が、福岡市博物館の企画展で並んで展示されています。企画展は写真撮影が可能ですので、本物とレプリカの違いを写真に収めて比べてみるのもいいかもしれませんね。

 

さて、今回の特別展に合わせて、福岡城の御城印も期間限定「官兵衛Ver.」を販売しております。官兵衛と長政の兜と花押を並べると何とも贅沢ですね~

 

また、福岡城むかし探訪館横の「黒田茶屋」も再オープンし、「あまおうイチゴソフト」や福岡城の二の丸で採れた梅を使用した「梅スカッシュ」を販売しています。

 

福岡城内で採れた梅というプレミア感が更に贅沢な気持ちへと感じさせてくれます。是非、ご賞味ください!

 

平和台陸上競技場

 

2021年7月22日は二十四節気の大暑。暑さが最も厳しくなる頃となりました。

城内の木々は、緑が濃くなり青々と生い茂っています。また、お堀の水辺では蓮の花が咲いています。蓮の開花は早朝から、お昼過ぎには閉じてしまうので、少し早起きして散策されてみてはいかがでしょうか。

 

23日、東京ではオリンピック開会式が行われるようです。

平和の祭典にふさわしく開催されることを願っています。

 

ここ福岡城内には、平和への願いが込められた「平和台陸上競技場」があります。5月11日、オリンピック聖火リレー点火セレモニーが開催された場所でもあります。緊急事態措置にともない無観客の点火セレモニーとなり、日本で初めての方式として、ステージ上で隣にいるランナーのトーチに聖火を灯し、聖火皿までつなぎました。

 

 

さて、なぜ福岡城跡地に陸上競技場があり、そして平和台と名付けられたのでしょうか。

 

明治4年、廃藩置県後、福岡県庁が置かれ、同9年に移転しました。

その後は陸軍の駐屯地でした。さらに、太平洋戦争後、進駐軍のための宿舎の建設が予定されていました。

『福岡市史 特別編 福岡城』によれば、昭和23年の第三回国民体育大会の誘致を図り、県や市の関係者が占領軍司令部に折衝を重ねて実現にこぎつけ、城内に陸上競技場・拳闘場・サッカー場・ラグビー場を建設して、同23年10月18日に竣工式を挙行しました。その際、これらの運動施設を合わせて「福岡平和台総合運動場」と命名しました。兵舎の跡地に建設した運動場だったため「平和台」という名が付けられたといいます。

当時の福岡国体事務局長、岡部平太氏が、国体会場としての使用を進駐軍と交渉する際、この城内の地について「兵(つわもの)どもの夢の跡をスポーツによる平和の台にする」と述べて、説得したことに始まるといわれているそうです。

 

平和台陸上競技場内の西門の両脇には、共に平和台を完工し第三回国民体育大会を誘致した、第17・18代福岡市長である三好弥六氏と、平和台の名付け親である岡部平太氏の銅像があります。

 

                     (三好弥六氏銅像)                                                     

 

                    (岡部平太氏銅像)

 

また、舞鶴公園北側には、福岡聨隊の跡記念碑があります。

 

             (福岡聨隊の跡記念碑)

 

さらに、時代は江戸時代に遡ってみます。

平和台陸上競技場の場所は、当時どのようになっていたのでしょうか。

 

福岡城むかし探訪館では、江戸時代後期の福岡城を400分の1の復元模型で再現しています。

また、三の丸スクエアには、現在の壁面航空写真があります。これらを並べてみると…

 

  (福岡城むかし探訪館 福岡城1/400復元模型)

 

 (三の丸スクエア内 航空写真)

 

福岡城は三の丸、二の丸、本丸、天守台の四層構造となっています。

復元模型の中にある赤い印は、現在の福岡城むかし探訪館の場所にあたります。平和台陸上競技場は探訪館の西側ですので、当時の三の丸北側に位置します。そこには、黒田家の重臣が居住する屋敷(家老屋敷)が並んでいたようです。

 

福岡城は時代の推移とともに変容し、時代に即したものが加わっていきました。

その一つである、平和台陸上競技場。平和台という名には、スポーツの発展と平和への願いが込められていたのですね。

 

黒田家と博多祇園山笠

 

7月に入り本来ならば、福博の街は7月1日から15日まで博多祇園山笠一色になります。

昨年同様に今年も舁き山(担いで走る山笠)はお休みですが、今年は福岡市内各所で飾り山(奉納するために飾られる山笠)を見ることが出来ます。今回は黒田家と博多祇園山笠のつながりについてご紹介します。

 

博多祇園山笠行事【写真提供:福岡市】

         

 

博多祇園山笠とは、2016年にユネスコ無形文化遺産に登録された700年以上続く、博多の総鎮守・櫛田神社の奉納神事で、起源については諸説ありますが、一般には1243年、博多承天寺の開祖・聖一国師が、疫病を鎮めるために人々が担ぐ施餓鬼棚に乗って甘露水(祈祷水)を博多の街に撒いたことが始まりと言われています。

 

その後、博多の町は貿易等で栄え、その豊かさから様々な武将が領地を争い博多は荒廃してしまいましたが、豊臣秀吉が九州平定し、復興のために『太閤町割り(博多町割り)』を行いました。黒田官兵衛は秀吉からの命により、この太閤町割りの実務を担っていました。官兵衛は江戸時代になってからの福岡藩拝領後の福岡城の築城だけでなく、博多の復興にも大きく関わっていたんですね。秀吉はさらに楽市楽座などの施策で博多商人の商業活動を保護し、山笠は博多商人による経済的柱のもと、しっかりとした自治組織によって、祭りとしての形態を固めていきました。

 

 

【博多祇園山笠公式サイトより】

                    

 

この太閤町割りの中で“流(ながれ)”という呼称ができます。流とは10~15くらいの町が集まって1流とする、いわば町の自治組織の単位です。この呼称はいま尚、山笠で使われています。

呼称の起源としては、黒田官兵衛が家老として仕えた播磨・御着地方(姫路)では、ため池を流と読むそうで官兵衛が名付けた説や、小川や旗を数える単位として「流(ながれ)」という言い方があり、道路を中心に長く伸びた町の集合体を小川などに見立ててそう呼んだのではないかという説もあるそうです。

 

       櫛田神社【 写真提供:福岡市 】

                                                                   

また初代福岡藩主黒田長政は、福岡城築城と城下町の建設とともに、博多の総鎮守である櫛田神社の大規模な修復普請を行いました。三代藩主光之は、櫛田神社に能舞台を寄進し、六代藩主黒田継高は櫛田神社の記録では、藩主で初めて山笠の上覧(身分の高い人がご覧になること)を行ったそうです。その後、江戸時代後期の藩主や世継の上覧は、博多の祭りの組織を総動員した大掛かりな儀式でした。最後の福岡藩主 長知まで上覧は続きました。このように豊臣秀吉の太閤町割り以降、黒田家と博多祇園山笠は深いつながりがあったのです。

 

 

                              

 

福岡市博物館では、8/29(日)まで企画展示室4で『博多祇園山笠展20』が開催されています。また、7/6(火)-9/5(日)まで、企画展示室2では『天下取りと黒田孝高・長政』もご覧いただけ、こちらでは、へし切長谷部・日本号・日光一文字を一堂にご覧いただけますよ。

福岡市博物館のホームページ 】

 

 

福岡城むかし探訪館では、へし切長谷部のレプリカを展示し、古地図や再現模型などもゆっくり鑑賞していただけます。お堀端の蓮も開花しておりますので、お散歩がてら当館へもお立ち寄りください。

 

福岡城 6月の連想ゲーム?!

 

緊急事態宣言も解除になり、新型コロナウイルスのワクチン接種をされた方も少しずつ周りで耳にするようになりました。

 

「新型コロナウイルスのワクチン」と聞いて6月つながりで連想したのが………

 

昨年の6月、九州大学と九州大学発のベンチャー企業であるKAIKO(福岡市)が共同で新型コロナウイルスのワクチン候補となるたんぱく質の開発に成功したとのニュース。

なんと、蚕から作るそうです。

 

次に「お蚕さま」と聞いて連想したのは………

 

NHK の大河ドラマ「青天を衝け」。

 

主人公の渋沢栄一の実家では「お蚕さま」を飼っていたそうで、第1話の「お蚕ダンス」は印象的でした。

 

その「お蚕さま」の餌といえば………

 

「桑」。

 

栄一が幼いころから京に上がるまでの青春篇の舞台となったのが、桑畑が広がる血洗島村。何とそのセットは東京ドーム5個分の面積があるそうで、2020年の1月から約3,000本もの桑を実際に植えて造られたものだそうです。

 

「桑」と聞いて、「福岡城三の丸東部の桑の栽培‼」と連想されたお方はかなりの福岡城通!!

 

実は「福岡城 6月の出来事」で頭に浮かんだのが「筑前竹槍一揆」でした。

 

詳しく調べようと『福岡市史 特別編 福岡城』を読んでいたら、「桑茶政策と三の丸東部」にその記述を見つけました。

 

『明治初年福岡県養蚕其他ニ関スル記録』によりますと、福岡県では明治5年2月に「養蚕之道」を開くことが示され、それを受けて、福岡県庁の租税課に勤務していた元福岡藩士の上野就賢は3月に本丸を除く福岡城内の空き地(主に三の丸東部の大身屋敷跡地と思われます。)に桑苗を栽培する計画をたてました。

 

その結果明治5年末には城内に17~18万本の桑苗が栽培されていたそうです。

 

ところが、翌年の明治6年6月に「筑前竹槍一揆」が起きました。

 

嘉麻郡高倉村(現・飯塚市)の農民と米相場師とのいさかいを発端に参加者10万人ともいわれる一揆が旧筑前国全域に拡大し、福岡城内にあった県庁にも突入しました。今から148年前の今日、6月21日のことでした。

 

その結果、それまでの栽培の成果は無になり、城内における桑苗栽培の試みは中途で終了したそうです。

 

その時の傷跡が今も下之橋御門に残っています。

 

 

このあたりの傷ではないかと言われています。

 

 

もし一揆がおきずに、そのまま桑苗が栽培され続けていたら、第二の渋沢栄一が福岡からも誕生していたのでは………そんなことを連想した6月となりました。

 

福岡城跡で天然記念物を発見!

福岡の今年の梅雨入りは、例年より20日も早く、統計史上でも2番目の早さだったとか。

城内を彩る花々も、今年はどれも開花が早く、菖蒲は見頃を過ぎつつありますが、現在はアジサイとスイレンを楽しんでいただくことができます。

下之橋では、この2種類の花を同時に見ることができ、人気の撮影スポットとなっています。

 

 

 

さて、福岡城跡で梅雨の時期に開花する植物ですが、アジサイやスイレンだけではありません。福岡城のお堀で初めて発見された植物の開花もこの時期なのです。

その名も「ツクシオオガヤツリ」、漢字で書くと「筑紫大蚊帳吊」です。

 

カヤツリグサ科は、茎が三角形で、両側から裂くと四辺形となり、拡げた形が蚊帳を吊った形に似ていることから「蚊帳吊草(カヤツリグサ)」の名が付いたそうです。世界中に約3,700もの種類があり、日本でも道端や田畑でよく見られます。古代エジプトで紙の原料として使用されたパピルス(カミガヤツリ)もカヤツリグサの一種です。

 

「ツクシオオガヤツリ」は、そのカヤツリグサ類の中でも特に大型のもので、1.5メートルの高さにまで成長します。明治39年に福岡城のお堀で初めて発見されたことから、頭に「筑紫」の名も付きました。

 

環境の変化に敏感で、泥の質が変わると消失し、絶滅危惧種となっている「ツクシオオガヤツリ」。ほぼ福岡市内でしか見ることができないため、県の天然記念物として指定されています。

 

 

ツクシオオガヤツリの花は、花びらがあるわけではなく、鱗状のものが重なり合った小穂から成ります。この穂ははじめはグリーンで、だんだんと黄味を帯びていきます。

植生が一定しないため、常に同じ場所にあるとは限らないようですが、比較的見つけやすいのが1号堀と6号堀です。

 

1号堀では、巣作り中のアオサギの姿を見ることもできます。

 

 

ハスの花ももうじき開花の時期を迎えます。

お堀端では、ハスの観賞と同時に「ツクシオオガヤツリ」もぜひ探してみて

ください。

 

黒田長政と「腹立てずの会」

 

黒田長政は官兵衛の嫡男で、関ケ原の戦いでの活躍により筑前国50万余石

(後に52万余石)を徳川氏から与えられ福岡藩の初代藩主となった人物です。

また、1601年から官兵衛と福岡城の築城に着手し、7年で完成させました。

城内は、天守台、本丸、二の丸、及び三の丸の4層に分かれており、

長政は本丸が完成すると三の丸から本丸に移り、「本丸御殿」を居宅としました。

「本丸御殿」は、初めは城主やその家族の日常生活や藩内の政治を行う場所でし

たが、二代目藩主忠之が新たに三の丸に御殿を建てたあとは、世襲儀式や祭礼の

場となりました。

 

(福岡城むかし探訪館内パネルの長政像)

 

長政は「本丸御殿」内にあった「釈迦の間」で、毎月一度信頼のおける

家臣ら数名集め「異見会」と称して忌憚(きたん)のない意見交換会を

行っていました。この意見交換会を、「腹立てずの会」とも言ったそうです。

会の中で、どんなことを言っても決して言った人に恨みを残さないこと,

また、後で他人に話さないこと,無論その場で腹を立てないこと。

これらを、相互で誓ったそうです。

そんなある日、皆のまえで謡曲(ようきょく:謡曲とは能の台本で、それに

節をつけてうたうこと)を披露し感想を聞いていた長政に対して、

「本当は殿のうたは下手で、聞けたものではなく対応に困っています」との

意見が家臣から出たとか。一瞬長政は青ざめましたが、怒ることなくその

後家臣のまえでぱったりと、謡曲をうたうことをやめたと言われています。

この逸話は、長政の多面的な人柄がよく表れているのではないかと思いました。

関ケ原の戦いで、自ら切り込み隊長として攻撃を加える猛将である反面、

小早川秀秋などの諸将の寝返りを交渉したとされ、調略家でもあった長政。

家臣の意見に耳を傾ける懐の深さや謙虚さがあったからこそ、関ケ原の戦いで

多大なる功績をあげることができたのかもしれません。

この「腹立てずの会」の話を知り、私はますます長政のことが知りたくなり

ました。

 

(本丸御殿のCG)

 

黒田官兵衛という偉大な父を持った長政がどのようなことを考え、どのような

気持ちで福岡城で過ごしていたかを想像し、福岡城跡をお散歩するのはいかが

でしょうか(^^)/

 

初夏の城内

 

気付くと桜や藤などの春の花も終わって、すっかり緑が美しい季節になりました。

気候的に、またコロナ禍ということもあってゆったりと舞鶴公園や大濠公園に散策に訪れる方が多くなりました。

 

 

 

 

 

 

  鴻臚館広場の蜂もせっせと蜜集め 桜もすっかり濃い緑の葉が茂っています

 

今、お城を囲む堀では、冬に枯れた蓮を取り除いて綺麗になった水面に、可愛らしい新芽が顔をのぞかせるようになっています。

 

新芽は初め、葉の両端がくるくると巻かれた細長い状態で水面に上がってきます。

それが時間の経過とともに少しずつ開いて、お馴染みの丸い形の葉となります。

開いてすぐは手のひら位の大きさなのですが、日々成長を遂げると両手で輪を作った位、もしくはそれ以上の大きさにもなります。

その成長の速さと葉の大きさには、力強い生命力を感じます。

 

そしてみるみる内に堀が蓮の葉で埋め尽くされるのには、毎年本当に驚かされます。

 

今はまだ水面にぽつぽつと葉が見える程度ですが…

きっとあっという間にこんな状態に…

蓮の花がご覧いただけるのは、毎年7月初旬頃~となっていますが、近年は少し早くて6月中旬頃から、花の姿を見掛けることもあるように思います。

花の時期も勿論楽しみですが、春から初夏にかけてのこの短い時期にしか見られない、貴重な景色も是非楽しまれて下さい。

 

さて、福岡城内(舞鶴公園内)にあります、福岡城むかし探訪館、鴻臚館跡展示館、及び三の丸スクエアは発出された新型コロナウィルス感染症緊急事態宣言に伴い、5月31日(月)まで休館することになりました。

当面の間ご不便をおかけしますが、何卒ご理解の程、よろしくお願い致します。

 

「潮見櫓」と「(伝)潮見櫓」のツーショットが今後見られるのか?!

福岡城跡の説明を読んでいると「潮見櫓」と「(伝)潮見櫓」と2つの潮見櫓の名前が出てきます。はたして福岡城には潮見櫓が2つあったのか?

 

実は「(伝)潮見櫓」は、大正時代に旧黒田家別邸に一旦移築され、潮見櫓として城内下之橋御門横に再移築されましたが、その後本来の潮見櫓ではない可能性が高くなったため(伝)とつけられました。

 

そして本来の潮見櫓は、崇福寺に移築されていました。

三の丸北西隅に位置していた櫓で、玄界灘や博多湾の監視に使用していたと推測されています。

(明治通りを西に向かいお濠が途切れるところ、「かんぽ生命保険」の裏手あたりです)

 

この潮見櫓については、現在「福岡みんなの城基金」を活用して、福岡市により復元整備が進められています!

次の写真は、昨年の6月当ブログにアップした工事中と最近の「潮見櫓」の場所の写真です。

 

石垣が綺麗に整備されました。

地下鉄大濠公園駅の5番出口を出ると、右側に見えますよ。

 

さて、「潮見櫓」が復元したら、この2つの櫓がお濠沿いに並ぶことになります!

ということで、ツーショットが撮れるのか「潮見櫓」の古写真を切り取ってシミュレーションしてみました。

 

「(伝)潮見櫓」を左端にすると、全く「潮見櫓」の場所が見えません。

 

右端にしても、お濠の地形や樹木で隠れて2つ一緒に見えそうにありません。

(「(伝)潮見櫓」は、矢印の下あたり)

<この写真は加工したものです>

いろんな場所から撮ってみましたが、お濠側だとちょっと難しそうです・・・。

 

では、三の丸広場側からはどうでしょう。

まずは、「(伝)潮見櫓」側からとってみました。〇の場所が「潮見櫓」の場所です。

ツーショット、撮れそうです!

 

現在工事中の「潮見櫓」側からも撮ってみました。〇の中が「(伝)潮見櫓」です。

結構いい感じで撮れるのではないでしょうか☆

<この写真は加工したものです>

 

ちゃんと綺麗に撮れるかどうかは、復元後のお楽しみですね!

 

三の丸スクエアのご紹介

 

桜の時期も終盤となり、福岡城周辺は新緑の季節へと移り変わってゆきます。

緑のグラデーションの中を散策するとぽかぽか陽気も重なり、

とても気持ちのいいシーズンです。

今回は散策中のおすすめスポット『三の丸スクエア』をご紹介します。

 

 

 

                   

平和台陸上競技場の西側の横断歩道から、母里太兵衛長屋門が見えてきます。

 

こちら側に渡っていただくと名島門が見えてきます。

門をくぐって左側にあるのが『三の丸スクエア』です。

 

 

 

『三の丸スクエア』は旧舞鶴中学校跡地にあり、

館内では福岡城、鴻臚館の歴史をパネルで紹介しています。

  

 

 

奥に進んでいただくと、福岡城・鴻臚館みどころマップが!

公園内を散策される前のご案内としても活躍してくれます。

 

 

また、館内には『福岡みんなの城基金』に

募金してくださった方々の芳名板もございます。

中にはこのような方々のお名前も‥

みなさんも探してみてくださいね!

 

 

 

三の丸広場を抜けると大濠公園が見えてきます。

もう少し進むと大きな堀や福岡タワーも見えますよ。

 

 

これからは藤や牡丹・芍薬、つつじなど舞鶴公園は花であふれるシーズンになります。

みなさんも散策がてら三の丸スクエア、

また福岡城むかし探訪館・鴻臚館跡展示館へお立ち寄りください。

 

「JAZZ in 鴻臚館」のメンバー紹介

この度、YouTubeにアップしております「JAZZ in 鴻臚館」のメンバー紹介をご紹介いたします。

 

【近藤タケユキカルテット】

 

// 近藤タケユキ(saxophone)// 

 

 福岡県北九州市生まれ。12歳の時にサックスを吹き始める。
大学入学と同時にジャズサークルに入部。ソニー・ロリンズ、ジョシュア・レッドマンの演奏に感動しジャズを演奏し始める。2002年ニューヨーク滞在時にテロに遭遇。人生観が大きく変わった結果、メーカーを退職、フリーのサックスプレイヤーに転身する。
現在、自己のジャズカルテットや複数のバンドに所属し「JAZZ in 福岡城」「中洲JAZZ」等各地で開催されるライブイベント及び「堺町 SWING21」「俺のフレンチ 博多」等にレギュラー出演中。楽しいライブスタイルを心がけている。ディナーショーのプロデュース、ウェディングでのライブ演出、テレビラジオ等のメディアへの出演、アーティストのサポート、和装などの他ジャンルとのコラボレーションも経験。
2011年よりサザンオールスターズのトリビュートバンド「KAWAMURA BAND」にメンバー加入。活動範囲を全国に拡大している。
ジャズの似合う街「門司港レトロ」でも積極的に活動しており、「天空ジャズ」等のイベント出演と共に2009年~2014年と6年連続で「門司港レトロSPECIAL JAZZ WEEK」をプロデュース。
演奏活動と平行して『ヤマハ サクソフォン科』の講師も務める。
ライブスケジュール等はこちらのブログから→http://blog.livedoor.jp/homarejazz/

 

// 渡辺大樹(piano)//

 

1987年7月7日 大分県出身
3歳よりクラシックピアノを始める。
2006年、北九州市立大学入学と同時にジャズ研に入部。
ビル・エバンスに影響を受け、独自の演奏スタイルを展開。
自己のピアノトリオをはじめ、多くのユニットに参加。
精力的にソロライブもおこなっている。
ジャンルを超えた演奏活動を展開する個性派ジャズピアニスト。

 

// 赤松貴文(bass)//

 

熊本県出身。ジャズベースを丹羽肇氏に師事。長崎大学入学後ジャズベースを始める。長崎県内のジャズスポットやライブハウスにて勢力的に活動する傍ら、ロックやポップスのレコーディングにも参加。その後2012年現在は福岡に移住し、中洲JAZZなど様々なイベントに参加。九州を中心に全国で活動中。

 

// 北原和夫 (drums)//

 

 

飯塚市在住。下関市立大学軽音楽部出身。52

魚町のヤマハ小倉店(現在ナガト楽器)でドラム講師を29年間務めている。

福岡県内でジャズ・ラテンなどのライブを年間100本前後(全てオファーによるもの)行っている。

 1992年NHKビッグバンドコンテストでベストプレイヤー賞受賞。

また韓国(釜山)・ブルーノート福岡・今治ジャズタウン・嬉野ジャズフェスティバルなどでも演奏経歴を持つ。

2017年には、訪れたニューヨークでのセッションで高い評価を得る。

前年の劇団四季“ライオンキング”(キャナルシティー劇場)で、パーカッショニストとして101回の公演に出演した。

 プロデビューした元生徒に前田芳明(175R)や岩丸正(河村隆一サポート)がいる。

 

 

スタッフお気に入りの場所 ~その6~

 

シリーズ最終回のお気に入りの場所は、福岡城の西側に南北に長く続く石垣です。

 

「福岡城跡」の石碑から松ノ木坂を上っていく石段も大好きです。秋には銀杏の落ち葉で黄色い絨毯のような景色になります。

 

 

が、今回はあえて松ノ木坂ではなく、石碑の右側に進むと見えてくるお気に入りの風景を紹介します。

 

 

まず、すぐに現れるのが石垣とベンチの風景。

 

 

さらに道路沿いを進むと、ツツジ園の奥の大きな木と石垣。

 

 

舞鶴公園管理事務所にお尋ねしたところ、この木はクスノキで樹齢ははっきりとは分からないそうですが、この大きさだと、100年は経っているのでは?とのことでした。

石垣よりも高く成長していくクスノキの生命力と、崩れることもなくこの場所で木々の成長を見守っている石垣の二つから、パワーをもらう場所でもあります。

 

さて、この石垣はいったん桐ノ木坂のところで上にと方向が変わりますが、逆に上から降りてきた石垣が南へと延びていきます。

 

 

そしてこの角から菖蒲園までの石垣は、刻印探しが楽しめる場所でもあります。

じっくり目を凝らしながら探すと、アルファベットのDやひし形、ハートの刻印を見つけることができます。

 

 

 

 

刻印がある石を探すのには時間がかかりますが、下の写真のように歯形のような跡がついた石は、ここの石垣に限らず、城内のいたるところで見つけることができます。

 

 

これは矢穴といい、石に穴をほり、そこにくさびを入れてたたいて割ったためにできた跡です。

 

そしてここの石垣では、その穴を掘る印が付いた石や、穴まで掘ったものの割らずに使用した石を見ることができます。

 

 

 

このように、石を観察しながら歩いていくとちょっとした発見があるのも、お気に入いりの理由です。

 

そして一番のお気に入りは、何と言っても多聞櫓と石垣の風景。

 

 

お城らしさを感るスポットです。春の桜に始まり、つつじや菖蒲の花、新緑が、そして秋には紅葉がこの景色に彩りを加えてくれます。冬には石垣そのものの美しさもしっかりと見ることが出来きます。

 

いつ来ても違う表情を見せてくれる福岡城。その魅力をスタッフ一同これからも心をこめて伝えてまいります。

 

どうぞお楽しみに‼

スタッフお気に入りの場所 ~その5~

 

「スタッフお気に入りの場所」、第5回目は「上之橋(かみのはし)」です。

福岡城内へと通じる3つの橋のうち、江戸に近く、お殿様や客人のための公式の出入口だった「上之橋」。福岡城の表玄関であるこの場所は、巨大な堀と堂々とした橋が、鉄壁の守りを誇る福岡城の威厳を感じさせてくれます。

 

 

上之橋は現在全て石組みですが、昔は中央部分が木組みになっていました。敵が攻めてきた時に、自ら橋を焼き落として城内に入らせないための仕掛けです。さらに橋の一画には、排水の仕組みもあったそうです。

この上之橋から、広―いお堀を西の方角へと望む景色が絶景です。

 

 

奥の方には、福岡タワーもバッチリ見えます!

 

 

桜の名所として有名な福岡城跡。上之橋からは、お堀に映える桜も堪能できます。

 

 

桜だけではないですよ!福岡城跡は、蓮の花の名所でもあります。

夏、堀が一面に蓮の葉で覆い尽くされる様子は圧巻です。

 

 

 

現代的なビル群と調和したお堀の風景を楽しめるこの場所が、私のお気に入りです。

 

さて、私の上之橋での楽しみをもう一つ。

橋を渡った後は、右手に曲がり城内へと進む方が大半だと思われます。が、

こちらは後世に造られた道で、実は、城内へと続く本当の道があるのです。

正面は突き当りに見えますが、まっすぐ進むと・・・

 

 

立派な桝形虎口(ますがたこぐち)が現れます。敵を囲い込み、勢いを削ぐための空間です。

 

 

左手にはかつて上之橋御門(かみのはしごもん)が建っていました。

こちらが城内へと続く正式な入口です。

 

 

この道を通る方はほとんどいないため、立派な石垣に囲まれた巨大空間を独り占めできます。

福岡城跡へお越しの際は、上之橋からの景色を堪能した後、こちらの道を通って城内へと入ってみてください。正式な入口から城内へ入ると、今までとは違った風景が見えるかもしれません。

 

桜の開花が楽しみな季節となりました。お花見ついでに「福岡城むかし探訪館」へもどうぞお立ち寄りください。スタッフ一同お待ちしております。

 

スタッフお気に入りの場所~その4~

 

第4回は花好きスタッフのお気に入りの場所です。

福岡城跡には四季を通じて様々な花が咲きます。

石垣をバックに見る桜や、お堀に咲く蓮の花。黒田如水の御鷹屋敷跡の

牡丹・芍薬園等素敵な場所が沢山あります。

この季節は満開の梅の花を観ることが出来る二の丸の梅園が私は大好きです(^^)/

 

扇坂跡の階段手前から、もう梅のほのかな香りがしてきます。

 

そして階段を上ると、一面に梅の花の風景が飛び込んできます。

 

福岡城跡の梅園では、様々な種類の梅を観ることが出来ます!

 

 

雪と石垣と梅のコントラストも素敵です。

 

ところで、梅園に入る際のこの扇坂跡ですが、かつて扇坂には御門がありました。

「御門法」によると大扉は常に閉ざされたおり、小扉は朝六つ時(午前6時頃)

に開き暮れ六つ時(午後6時頃)に閉まる規定があったようです。

門を閉めた後の鍵は、本丸玄関番に預けるようになっていました。大扉が常に

閉ざされていて番人が置かれず、見廻りに規定もないことから人の往来はそう

多くなかったと考えられています。

また、福岡城には他にも松ノ木坂御門、桐木坂御門等の御門がありましたが、

桐木坂御門のように日中大扉の片方が開かれ、定番が置かれていた御門も

ありました。

このように門によってそれぞれの規定が異なっていたようです。

 

(CG作成の扇坂)

 

そんな当時のことを想像しながらお散歩すると、より楽しい時間を過ごせるかも

しれません。

また、お散歩の前には「福岡城むかし探訪館」に立ち寄られ、福岡城の大型再現

模型などで、より一層当時の想像を膨らますのはいかがでしょうか(^^♪

 

スタッフお気に入りの場所 ~その3~

 

シリーズ3回目、今回のスタッフお気に入りの場所は「南丸多聞櫓」です。

この櫓は城内の南西側に位置し、唯一当時のままの姿を残す櫓として、国の重要文化財に指定されています。

こちらは西側、菖蒲園から眺めです

二層の石垣の上、高い位置に建っていることが分かります。

 

今回ご紹介するのはこの反対側、東側にある南丸広場から見た姿です。

こちらは先の写真と違い、立ち位置が建物と同じ高さ、もしくはやや高い立ち位置からの眺め。

南丸広場からは建物を間近に見ることが出来ます。

 

少しご紹介したいのが屋根瓦。

約3年前に多聞櫓の修復工事が行われ、新しい瓦に変わった箇所もあります。

ご覧のようにこの瓦、元々一枚一枚が均一な仕上げではありません。

一枚の瓦の中に、グレー・シルバー・水色の三つの色が不均一にあります。

ですから屋根全体を見ても模様が描かれたようになっています。

 

また晴れた日の午前と午後では屋根の見え方が変わってきます。

南丸広場は多聞櫓の東側に位置しており、午前中は屋根に陽が当たり、午後は影となります。

 

午前中はシルバーの部分が太陽の光を反射し、見る角度によっては屋根全体が光って見えるのです。

まるで空の色を映したかのようにも、光を描く絵画のようにも見えるような気がします。

またこんな歌を思い出します。

♪い~ら~か~のな~み~と、く~も~のな~み~♩(甍<いらか:瓦屋根>の波と雲の波)※童謡:鯉のぼり

本来の歌詞の意味とは少し違うかもしれませんが、まさに屋根が美しく光る水面の波のようにも見え、穏やかな気持ちになってくるのです。

 

午後ではまた違った雰囲気になります。

 

このように自然と調和し様々な景色を見せてくれる南丸多聞櫓が私のお気に入りの場所です。

機会があれば、是非々々多聞櫓を様々な角度から見てみてくださいね。

 

スタッフお気に入りの場所 ~その2~

第2回目は、石垣好きスタッフのお気に入りの場所です!

当ブログ内でも、福岡城は石垣が立派で「石城」と呼ばれたことや、築城時からの石垣が広く綺麗に残っていることなどを書いてきました。
それぞれの場所での石垣も美しいのですが、中でも常に高さを実感出来る裏御門付近の石垣が一番のお気に入りです☆

 

具体的な場所は、松の木坂を登り しだれ桜並木が途切れると本丸へと向かう途中に裏御門跡があります。その右手にある石垣です。
ちなみに、しだれ桜並木をまっすぐ進むと多聞櫓です。

 

高い石垣は、天守台や城内南側など他にもあるのですが、ここの石垣は高いだけでなく見あげた感じや周りの雰囲気も含めてとても圧巻です。
桜など四季折々の植物を楽しむことの出来る福岡城跡ですが、ここの場所は季節に左右されることなく1年を通じてずっと石垣の壮大さを感じることが出来ます。
天守台の裏側へと続く石畳の道とのコントラストも素晴らしいです!

 

更に、天守台などと重なる石垣も綺麗に見ることが出来ます。
(赤い丸の部分が天守台です)

 

まもなく梅の花や桜の花が咲き始めますが、花だけでなく少し顔を上げて黒田官兵衛・長政親子が造った立派な石垣も見てもらえると嬉しいです。

 

スタッフお気に入りの場所 ~その1~

 

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

いつもご覧いただいているブログですが、今回から6回にわたって

スタッフお気に入りの場所をご紹介します。

 

第一回目は、鴻臚館横の小路です。

 

 

鴻臚館西側の小路は、福岡城むかし探訪館・鴻臚館跡展示館から、

けやき通りへの抜け道となります。

あまり知られていませんが、石垣の迫力をより間近に感じることができます。

特に石垣をじっくり見るには、木の葉が落ちたこの季節が一番見えやすいです。

 

     

上記の写真の石垣はかくばった部分があります。(右写真)

ここは江戸時代に高櫓があった場所です。

ある時期において堅炭が納められており、炭櫓ともよばれていました。

鴻臚館広場から見てもその角の鋭角さが見て分かります。(左写真)

 

 

また、この先は木々のアーチがあり、

季節によって四季折々の風景も併せて楽しんでいただけます。

                   

桜と新緑、雪の季節では、同じ場所でも雰囲気が違って見えますね。

 

 

この道を先に進んでけやき通り側に抜けていくと

右側に壮大な土塁を見ることができます。

上から光が差し込んでなんとも幻想的な風景です。

         

ここを抜けるとけやき通りに到着です。

一つの道でこの様に雰囲気が変わるので、季節ごとに歩き楽しんでいます。

 

みなさんもお散歩がてら

お好きな場所を探してみてはいかがでしょうか?

 

 

 

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