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福岡城 もう一つの御鷹屋敷

福岡城の日々 2021年10月25日(月)
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福岡城で御鷹屋敷といえば、如水(官兵衛)の隠居屋敷として知られています。

 

もとは小山であったのを、二の丸とほぼ同じ高さまで低くならした曲輪に建てられたので、江戸時代中後期の絵図には「鷹屋敷」「高屋敷」あるいは「山」と記されています。

現在は、ボタン・シャクヤク園が整備され、4月から5月にかけて多くの人でにぎわっています。

 

ところが、もう一つの御鷹屋敷の記述を『福岡市史 』特別編「福岡城」に見つけました。

 

「追廻門の前には長さ約346mの追廻馬場がまっすぐに伸びる。馬場の東側には「御馬屋」があり、その近くに「御馬方」や「御馬医」らの屋敷が配される。さらに、その東南の蓮池には「御鷹屋敷」があり、それをめぐって「鷹匠頭」「御鷹医」の屋敷が確認できる。」とあります。

 

そこで、当館にあります江戸時代後期の福岡城を400分の1で再現した「復元模型」とそこから続く「古地図」でその御鷹屋敷を探してみました。

 

追廻橋を渡り城外に出たところで、目を凝らして見てみると確かにありました。

 

 

そこで、「鷹」について調べてみたところ、福岡市博物館のアーカイブス「福岡藩の殿様と武士と動物たち-馬と鷹-」に詳しく書いてありました。

 

鷹は古代から朝廷や公家、神社などで鷹狩(たかがり)をするために飼育されていて、鷹狩は天皇や貴族などの野外娯楽として親しまれていたようです。また、室町・戦国時代には将軍や大名などの趣味として広まり、鷹は織田信長、豊臣秀吉といった天下人が溺愛するものとなりました。

 

徳川将軍も鷹狩を好み、徳川将軍から鷹狩の獲物を頂けることは大変名誉なことで、福岡藩2代藩主黒田忠之が息子の3代藩主光之に出した書状には、将軍が鷹狩でとった鶴を拝領した喜びが述べられているそうです。

 

福岡藩では領内に鷹狩をする鷹場(たかば)が決められていて、藩主からの許可がある場合や褒美といったわずかな例外をのぞいて藩主以外の猟は基本として禁止されていたとのこと。

また、藩内には鷹の捕獲や飼育、狩りの訓練を専門とする鷹匠(たかじょう)の仕事をする家臣が江戸時代の早い時期から召し抱えられ、福岡城内にはお鷹部屋が設けられさまざまな鷹が飼われていたそうです。

福岡城内でどのような訓練がおこなわれていたのか、またどのようにして狩りが行われていたのか、興味がわいた秋の1日となりました。

 

さて、鷹狩を見ることはできませんが、「鷹」と触れ合えるイベントが11月6・7日に鴻臚館広場で開催されます。

題して「福岡城52万石 秋の陣」(詳しくはこちら

 

それに先駆けて、城内の多聞櫓広場等で10月31日から11月7日まで“「多聞櫓Week」”として、Jazz の演奏や、忍者ショー、ペットの写真撮影会を行います。また、この期間中は平日も日頃見ることのできない多聞櫓も公開します。(詳しくはこちら

 

心地よい季節になってきました。秋空の下、福岡城跡に遊びにこられませんか?