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鴻臚館の変遷と復元建物

鴻臚館の変遷と復元建物

福岡城の日々 2023年11月25日(土)
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今年も春、夏、そして秋が過ぎ、冬がやってきました。二十四節気では小雪(しょうせつ)になり、福岡市は11月18日に、11月としては10年ぶりに初雪が観測されました。時折暖かい日もありますが、朝晩の冷え込みは厳しくなり、あともう少しで12月です。紅葉で色づいた葉が、次から次へと地面に落ちています。樹々は少し寂しくなりましたが、色づいた葉が残っている場所もあります。

広い鴻臚館広場の南側に展示館があります。鴻臚館広場の地面の下には鴻臚館時代の遺構が埋まっています。鴻臚館跡展示館は、遺構の一部を発掘された状態で保存、展示するとともに、出土品や復元建物を展示しています。展示館は当時の礎石の遺構を埋め戻さずに、遺構の上に覆い屋を建てたものです。

同館の入口を入ると、すぐ目の前にベージュ色の柱、朱色の扉、緑色の連子窓、グレー色の瓦の復元建物があります。この復元建物は宿坊的性格を有するという想定のもと、現存する平安時代の古建築資料に基づいて建てられたものです。構造や組み立ての過程が分かるように、展示館入口側から礎石に柱を立ち上げた状態、棟木を架けた段階、垂木を取り付けた段階、壁塗り、屋根瓦を葺き、そして一番奥側で完成するまでを段階的に示しています。

鴻臚館は、日本書記の持統2年(688)の記事に「筑紫館(つくしのむろつみ)」という名称で文献に初出しています。建物は7世紀後半~8世紀前半の成立期から掘立柱建物で構成された南館・北館があり、南館は儀式・饗宴の場、北館は宿泊の場と異なる役割が想定されていました。
8世紀前半~末は瓦葺の礎石建物として整備され、同一方位、同一規模の相似形に変わりました。9世紀初~中頃は、乱積みの基壇を持つ礎石建物が設けられ、主軸方位を踏襲しながら規模が拡大されました。筑紫館は中国の唐の外交施設「鴻臚寺」にちなんで「鴻臚館(こうろかん)」と改称されました。

この鴻臚館は1047年に放火されたようで、その後は、衰退していったようです。少し寂しいですね。
それから500年以上経ち1601年~1607年黒田長政と父官兵衛によって福岡城が築城されました。その後、大きく時を経て1987年に鴻臚館の瓦が発見されるなどして、1995年鴻臚館跡展示館を開館し、現在では、国内海外から多くの方にお越しいただいております。

福岡城跡では、寒さの合間の暖かい小春日和や、空気が澄んだ冬の凛とした雰囲気の日、どちらも趣があります。ぜひ、暖かい服装でお越しいただき、鴻臚館跡で飛鳥・奈良・平安時代の歴史をごゆっくり感じてください。
スタッフ一同、お待ちしております。

 

(出典:よみがえれ!鴻臚館-行き交う人々と唐物-)