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鴻臚館と平和台球場跡

福岡城の日々 2024年06月19日(水)
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5月末からプロ野球セ・パ交流戦が始まり、平和台球場があった舞鶴公園や福岡城跡には試合前等にたくさんの方にお越しいただきました。
最近お問い合わせの多い“平和台球場モニュメント”は、上之橋御門跡手前の左側にございます。現在は蓮とのコントラストもお楽しみいただけますよ。

 

さて、上之橋御門跡を右側に上がると鴻臚館広場が見えてきます。ここにかつての平和台球場がありました。

 

 

 

昭和62年12月平和台球場改修工事に伴う発掘調査で、鴻臚館の関連遺構が発見されました。以後、その全容解明のための本格調査を継続しています。

鴻臚館とは平安時代、平安京・難波・筑紫の三ヵ所に設置された外交施設です。
その名前は古代中国で外国との交渉を司る「鴻臚寺(こうろじ)」に由来し、「鴻(こう)」は大きい、「臚(ろ)」は伝えるという意味があります。

 

 

鴻臚館は、飛鳥・奈良時代には筑紫館(つくしのむろつみ・つくしのたち)と呼ばれていました。天平8年(736)の遣新羅使が、筑紫館でよんだ歌が『万葉集』に収められています。

筑紫館にてよんだ歌の4つのうち1つが、福岡城むかし探訪館の裏に万葉歌碑としてございます。
『今よりは 秋づきぬらし あしひきの 山松蔭に ひぐらし鳴きぬ』
“今はもうすっかり秋になってしまったようだ。山松蔭でひぐらしが鳴いているのだから”という意味だそうです。


            【万葉歌碑:福岡城むかし探訪館 裏手】

 

そして永承二年(1047)、大宰府が「大宋国商客宿房」に放火した犯人4人を捕縛したという記事があり、これが鴻臚館に関しての最後の記事となっているようです。

 

 

鴻臚館跡展示館には交易拠点だった鴻臚館跡から国際色豊かな遺物が出土し一部を展示しております。

中国などで生産された陶磁器や朝鮮半島の新羅、高麗産の陶器、西アジアのイスラム系陶器やペルシャ系ガラス器なども発掘されました。
また、各地から送られた物資に付けられていた木簡や、その木簡を転用した、いわゆるトイレットペーパーとして使用された籌木(ちゅうぎ)もトイレ状遺構より出土しています。籌木はお子様にもとても人気ですよ。

 

また展示館内では、鴻臚館発見の中山平次郎博士のエピソードや遣唐使、復元建物、大宰府政庁とのつながりなどもパネル展示しておりますので、ぜひ見にいらしてください。

 

 

 

梅雨入りしましたが晴れている日も多く、散策にもってこいの時季になりました。6/15(土)より城址だけでなく、天守台も上がっていただけるようになりましたので、鴻臚館跡展示館や福岡城むかし探訪館、三の丸スクエアへもお越しください。スタッフ一同、お待ちしております。