福岡城の天守台というと一般的には、展望台となっている大天守台を指すことが多いのですが、その横に小天守台と中天守台があるのはご存知ですか?
大天守台の東側に小天守・中天守台と連なっています。
(中天守台の右側=西側が大天守台です)
天守閣が全て造られていたとしたら、このような形をしていたのではないかと言われています。
(左から小・中・大天守です)
「大天守」の記載は文献など残っていないことから、福岡城の天守閣は存在したかどうかは、はっきりしていませんが、「小天守」「中天守」は、絵図などに描かれており、存在していたのではないかと思われます。
台の形などから再現すると、このような形だったかもしれません。とても迫力があったのでしょうね。
しかしながら、福岡市博物館所蔵の「正保福博惣図」には、「小天守台」「中天守台」の場所は「矢倉跡」と記載されており、この図を描いたときまでには取り壊されたと考えられています。
<正保福博惣図>
さて、この小天守台・中天守台は福岡城内でも屈指の石垣の美しい場所でもあります。
令和2年に石垣の保存修復工事があり、更に綺麗になりました。
福岡市が定期的に募集する「御掃除之者」で、昨年この小・中天守台を愛情たっぷりとお掃除してくれました。
城内三の丸のラグビー場側から見える小天守台・中天守台・大天守台と折り重なる石垣の姿も綺麗です。
また、小・中天守台の間の石段は、お城や昔の建物の特徴の一つである急な階段です。
福岡城内の多聞櫓や(伝)潮見櫓の中なども急な階段があるのですが、残念ながら櫓には常時入ることが出来ません。
城内のその他の石段も比較的緩やかなので、この石段が唯一江戸時代の傾斜ある階段を常に感じさせてくれる場所です。
登れそうだけど降りるのが怖そう!と思う方も大丈夫です。この階段を上った後、天守台の裏側=南側へと抜けることが出来ます。
ただ、裏から天守台に登るには少し分かりづらくなっています。
敵に簡単に入られないような城造りをした黒田官兵衛・長政親子の思惑に陥らないよう探険してくださいね。
「中天守台」の表示石は、少し分かりづらい場所にあるのでこちらも「宝物探し」の気分で見つけてください!