ひも解き鴻臚館シリーズも今回が最終章になりました。
最後は唐物について少し触れてみたいと思います。
7世紀後半、中央政権化を進めた日本は海外との交易を非常に重要視し、人々の出入国やそれによってもたらされる文物の一元的、独占的な管理をする施設が必要になりました。
大宰府や鴻臚館(筑紫館)は来航者の迎賓や宿泊の役割も含め、そのような体制を円滑に行うために整備された機関・施設でもあります。
大陸との外交の最前線の地域であったこの場所に、まず筑紫館(つくしのむろつみ)が設けられます。
7~8世紀代は新羅からの使節が多く、唐からの使節は僅かだったようです。そして鴻臚館と名称が変わる9世紀前半には国家間の外交は衰退し、代わって海商の来航が増えていくことになります。
外国船に乗ってきた使節や商人、また無事に帰国した遣唐使や入唐僧によってもたらされた貴重な舶来品は、平安時代からは「唐物(からもの)」と呼ばれるようになりました。
唐物と言っても、唐(中国)や新羅(朝鮮)の物ばかりではありません。
その当時、唐の国は様々な制度や技術、文化面でも最先端を行く、アジアの中心的な国家であり、例えば西はシルクロードを通してガラス製品、また東アジアからは香木や薬材など国際色豊かな品々が集まって来ていました。
これら様々な国の品は、唐から直接に、また新羅などを介して日本に持ち込まれるようになったのです。
当時の高い技術によって生まれた希少な美術・工芸品も海を渡ってやって来ました。
その中には現在正倉院の宝物として保管されている物などもあります。
唐物は当時のブランド品のような物で、貴族階級や豪族はこれを所持することが、政治力や文化力が高いことを表すステータスシンボルであり、また王朝での処世に欠かせない重要なアイテムでした。
ですから海商によって鴻臚館に入ってきた貴重な唐物は、国が独占的に管理するため「官司先買」(来航者との交易は朝廷が先に行うものとする)が原則となっていました。
外国商船が鴻臚館に到着すると、まず大宰府に早馬を走らせて知らせます。それから大宰府~都へと伝達され、京の※蔵人所(くろうどどころ)から「唐物使い(からものつかい)」と呼ばれる役人が派遣されます。
※蔵人所:天皇の秘書的役割、事務を行った所
そしてその唐物使いが、朝廷が必要なものを先に買い上げ、残りの品は公定価格での民間の交易を許す形になっていました。
やがて時代の流れとともに唐物使いの役割は大宰府の役人が担うようになります。
また往来する海商の船に便乗し、舶来品を購入して日本に持ち帰る、交易目的の入唐使の派遣もあったようです。
鴻臚館跡の遺跡から発掘された欠片をもとに復元された陶器です。
異国の雰囲気が伝わってきますね。
こちらはペルシャ陶器の欠片です。独特の青緑の色が美しいです。
これらの陶器類は鴻臚館展示館に展示がございます。
源氏物語にも登場する薫物やガラス器や毛皮などの唐物は平安時代の華やかな王朝生活には欠かせない物でした。
シルクロードの終着駅と言われた日本。その日本独自の文化を形成していく上で、重要な役割を果たした唐物。
鴻臚館は約400年の間、その外交と交易の最前線にあって、様々な国の人や物、そして文化が行きかう国際色豊かな施設でした。
鴻臚館跡展示館ではこれまでシリーズで紹介してきた様々な内容を詳しくご覧いただくことが出来ます。
暑さも和らぎ、これから野外を散策には良い季節となります。
福岡城跡・鴻臚館跡展示館とそれぞれの時代に思いを馳せつつ、ゆっくりとした時間を過ごしてみませんか。