福岡城のはや解きも、本日で最終回となりました。
今回はお城の建物がなぜ残っていないのか?焼けたのか?
について、ご紹介いたします。
福岡城の城内には藩主の住まいや、藩を治める役所の建物、家老屋敷、
そして、47の櫓や10の門などがありました。
「福岡城むかし探訪館」が建っているあたりも、江戸時代は家老屋敷が
並んでいたと考えられています。
明治時代になると、当時の政府の役職であった太政官から廃城令という
命令が出されました。(明治6年)
これに基づき、福岡城は陸軍が使用する軍用地となり、併せて従来からの
建物等で陸軍による使用がされないものについては、解体や移築されることに
なったのです。多くの櫓や門なども解体され、黒田家のゆかりのお寺に
移築されるなどして、ほとんど城内からなくなりました。
お城によっては、軍用地として城跡が利用されるため、石垣を壊されるところも
ありましたが、幸い福岡城の石垣は壊されずに、今でも当時の姿で残っています。
ちなみに、福岡県庁も明治4年から福岡城内に置かれていました。
一方、江戸時代、弓矢や槍などの様々な武器を収めていた武具櫓は、
大正時代に現在の中央区浜の町にあった黒田家の別邸に建物の大きさを変え
移設されました。しかしながら、昭和20年の空襲で焼けてしまいました。
●福岡城に在りし日の武具櫓
また、黒田家ゆかりのお寺といえば博多区千代にある、崇福寺が有名ですね。
黒田官兵衛・長政などのお墓があるお寺です。
ここに移築された福岡城の表御門は、幸い空襲を免れ、現存しています。
下の写真は明治時代(左)と現在(右)の表御門の姿です。
●明治初期の福岡城 表御門
●現在の崇福寺 山門
その後、一部の櫓が城内に再移築されてきたり、
また、下の写真の櫓や門などが、福岡市により復元整備を目指されているところです。
やがて昔の面影がより感じられることになりそうです。楽しみですね!
●潮見櫓(再建に向け福岡市で保存中)
●上之橋御門(明治時代の様子)
福岡城では新緑のグラデーションがきれいな初夏を迎えております。
これからの時期は菖蒲や紫陽花が見ごろを迎えます。
お散歩がてら、福岡城に、そして福岡城むかし探訪館にもお出かけください。