「福岡城むかし探訪館」では、福岡城跡に来られた皆様にお城の概要の説明や、
回遊のご案内をしております。
しかしながら、今月の31日まで休館の予定ですので、ご自宅で福岡城の概要を
手軽に知っていただこうと、今回を始め7回シリーズでブログにより福岡城の
ご紹介をすることにしました。
福岡城は、黒田長政が関ヶ原の合戦で大きな手柄をあげたため、徳川家康から
この福岡の地(当時は筑前)を拝領しました。
以前の中津藩12万3千石から、52万3千石への大出世です。
その頃は、秀吉から天下を取るほどの器量をもつと恐れられていた父 官兵衛
(如水 じょすい)も生きておりましたので、二人で築いたと言われております。
(ただ、江戸にいる長政が自分の臣下に、親父が地元でいろいろ口出しをするだ
ろうが、自分のいうことだけを聞いていれば良いと言ったとか…いつの時代も同じですね)
お城は、他の地域でも一緒ですが、戦国時代が落ち着くと平地に城を築くのが
一般的になっており、福岡城も平地・湿地帯を利用して築城しました。
広さは福岡PAYPAYドーム7個分 (約41万㎡)、東西1km、南北700mという広さです。
高さ的には三の丸、二の丸、本丸、そして天守台の四層構造です。
その間はもちろん至るところに石垣を築き、とても攻めにくいお城だったようです。
石垣の石は、元寇防塁、当初入城していた名島城、そして糸島半島にある可也山
(かやさん)などから運んできました。
周囲に巡らせたお堀には、約1.5km離れている福岡市の中心部を流れている那珂川
から水を引いて、博多湾に流し出しました。
これらの大工事を、ブルドーザーやダンプカーがない時代にたった7年間で完成させました。
すごいですね。大きな機械がないので、人を多く使ったのでしょうね。それだけ
藩主の力が大きかったということですね。
次回は 「福岡」の本家は他所に? というテーマです。是非楽しみにしてください。
黒田官兵衛(如水) 黒田長政