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はや解き 福岡城(その1)~福岡城とは~

福岡城の日々 2020年05月07日(木)
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「福岡城むかし探訪館」では、福岡城跡に来られた皆様にお城の概要の説明や、

回遊のご案内をしております。

 

しかしながら、今月の31日まで休館の予定ですので、ご自宅で福岡城の概要を

手軽に知っていただこうと、今回を始め7回シリーズでブログにより福岡城の

ご紹介をすることにしました。

 

 

福岡城は、黒田長政が関ヶ原の合戦で大きな手柄をあげたため、徳川家康から

この福岡の地(当時は筑前)を拝領しました。

以前の中津藩123千石から、523千石への大出世です。

 

その頃は、秀吉から天下を取るほどの器量をもつと恐れられていた父 官兵衛

(如水 じょすい)も生きておりましたので、二人で築いたと言われております。

(ただ、江戸にいる長政が自分の臣下に、親父が地元でいろいろ口出しをするだ

ろうが、自分のいうことだけを聞いていれば良いと言ったとか…いつの時代も同じですね)

 

お城は、他の地域でも一緒ですが、戦国時代が落ち着くと平地に城を築くのが

一般的になっており、福岡城も平地・湿地帯を利用して築城しました。

広さは福岡PAYPAYドーム7個分 (41万㎡)、東西1km、南北700mという広さです。

 

高さ的には三の丸、二の丸、本丸、そして天守台の四層構造です。

その間はもちろん至るところに石垣を築き、とても攻めにくいお城だったようです。

石垣の石は、元寇防塁、当初入城していた名島城、そして糸島半島にある可也山

(かやさん)などから運んできました。

 

周囲に巡らせたお堀には、約1.5km離れている福岡市の中心部を流れている那珂川

から水を引いて、博多湾に流し出しました。

 

これらの大工事を、ブルドーザーやダンプカーがない時代にたった7年間で完成させました。

すごいですね。大きな機械がないので、人を多く使ったのでしょうね。それだけ

藩主の力が大きかったということですね。

 

次回は 「福岡」の本家は他所に? というテーマです。是非楽しみにしてください。

 

      

黒田官兵衛(如水)                                                  黒田長政