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はや解き 福岡城(その3)~福岡城は山の一部を利用したって本当?~

福岡城の日々 2020年05月15日(金)
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関ケ原の戦いの後、豊前の中津藩からこの福岡(筑前)の地に転封された黒田家。

一旦、前領主の小早川秀秋の居城だった名島城に入城します。

しかし元々あった名島城は手狭で、発展していた「博多」の町からも遠かったことから新しい城を築くことにします。

 

まず4か所の候補地が挙がります。

1つ目は現在の博多区住吉神社の付近、2つ目は東区箱崎、3つ目は現在の西公園辺りの中央区荒戸山です。

そして最終的には土地の形状や、お城の防御などの点なども考え、現在の場所である当時福崎(ふくさき)と呼ばれた所に決まります。

 

このシリーズの「その1」にもありますが、福岡城の敷地は高さの違う4つの層が重なった形で構成されています。

実際の福岡城は広いため、一目で高さの違いを見ることは出来ませんが、この福岡城むかし探訪館内にある1/400スケールの模型をご覧いただくと良く分かります。(以下は模型写真です)

三の丸(標高5~8m)→二の丸(〃16~18m)→本丸(〃23m)の順に高くなり、1番高い所が天守台(〃36m)となります。

ではこの4つの高さの違い、実際どのようにして作ったのでしょうか?

 

通常、高さの違う台地を作るには盛り土という、土を積み上げて段階的に高さを変えていく方法があります。

しかし福岡城は少し違いました。

 

この福崎の地は北側は海、南側には小高い山が連なる丘陵地でした。

その丘陵地、赤坂山から続く自然の地形を最大限に利用します。

傾斜地を削りながら、また場所によってはその削った土を使用し、盛り土をして4つの層に整地していったのです。

 

また、お城の南側の丘陵地の一部は切り落として堀や平地を造りました。

お城の南側は水堀から三の丸まで急な斜面となっています。

 

元々の自然の山を利用して作られたお城。

高い所にある本丸には、山の水脈を利用したと思われる井戸が三か所残っており、今でも水を湛えています。

 

次回は「早解き福岡城(その4)~福岡市地下鉄は石垣を目覚めさせた?~」です。