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はや解き 福岡城(その1)~福岡城とは~

「福岡城むかし探訪館」では、福岡城跡に来られた皆様にお城の概要の説明や、

回遊のご案内をしております。

 

しかしながら、今月の31日まで休館の予定ですので、ご自宅で福岡城の概要を

手軽に知っていただこうと、今回を始め7回シリーズでブログにより福岡城の

ご紹介をすることにしました。

 

 

福岡城は、黒田長政が関ヶ原の合戦で大きな手柄をあげたため、徳川家康から

この福岡の地(当時は筑前)を拝領しました。

以前の中津藩123千石から、523千石への大出世です。

 

その頃は、秀吉から天下を取るほどの器量をもつと恐れられていた父 官兵衛

(如水 じょすい)も生きておりましたので、二人で築いたと言われております。

(ただ、江戸にいる長政が自分の臣下に、親父が地元でいろいろ口出しをするだ

ろうが、自分のいうことだけを聞いていれば良いと言ったとか…いつの時代も同じですね)

 

お城は、他の地域でも一緒ですが、戦国時代が落ち着くと平地に城を築くのが

一般的になっており、福岡城も平地・湿地帯を利用して築城しました。

広さは福岡PAYPAYドーム7個分 (41万㎡)、東西1km、南北700mという広さです。

 

高さ的には三の丸、二の丸、本丸、そして天守台の四層構造です。

その間はもちろん至るところに石垣を築き、とても攻めにくいお城だったようです。

石垣の石は、元寇防塁、当初入城していた名島城、そして糸島半島にある可也山

(かやさん)などから運んできました。

 

周囲に巡らせたお堀には、約1.5km離れている福岡市の中心部を流れている那珂川

から水を引いて、博多湾に流し出しました。

 

これらの大工事を、ブルドーザーやダンプカーがない時代にたった7年間で完成させました。

すごいですね。大きな機械がないので、人を多く使ったのでしょうね。それだけ

藩主の力が大きかったということですね。

 

次回は 「福岡」の本家は他所に? というテーマです。是非楽しみにしてください。

 

      

黒田官兵衛(如水)                                                  黒田長政

お待たせしました!開館です!!

2月27日から臨時休館しておりました「福岡城むかし探訪館」

「鴻臚館跡展示館」ですが、3月21日より開館いたしました。

開館を心待ちにしていただいていたお客さま、お待たせいたしました!

 

そして、開館に合わせたかのように、福岡城跡の桜も開花し始めました。

今年は暖冬だったため、桜の開花も早まるかと思われましたが、

ほぼ例年どおりの開花となりました。

 

新型コロナウイルス感染拡大防止のため、「福岡城桜まつり」は残念ながら中止

となりました。恒例の出店や夜間のライトアップなどはありませんが、城内を

自由に散策していただくことはできますので、ぜひ満開の桜を見にお越しください。

見頃は3月下旬で、あと1週間ほどで満開となりそうです。

 

また、「鴻臚館跡展示館」では、現在、遺構の修復作業を行っております。

展示館に一歩足を踏み入れるとすぐ目前に広がる巨大な遺構に、

来館者の皆様は一様に驚かれ、「本物ですか?」との質問をよく

受けますが、もちろん本物です!

 

発掘作業が終了した他の遺構は埋め戻されていますが、展示館部分の

遺構は覆い屋を建て、発掘された品々とともに公開しています。

今回の作業では、遺構の周囲の壁から浸水してくる水を外部へ排出

するための管を埋め込んでいます。

 

現在の遺構の修復作業は3月31日までの予定です。修復作業中も展示館は

通常通り開館していますので、作業の様子もあわせてご覧ください。

 

お馬さんたちも「福岡城むかし探訪館」横で待っています!

乗馬とお花見を同時に楽しみませんか?

「福岡城サムライライディング」につきましては、

詳しくは城内イベント情報をご覧ください。

 

 

コロナウイルスの感染が収束に向かい、国内外から多くのお客様に

お越しいただける日が早く来ますように、スタッフ一同願っております。

祈念櫓はどこへ?

家の立地場所決めや部屋のレイアウトを行う際、「風水」は気になりますか?
戦国時代において、多くの大名たちが城を建てる際には「鬼門(きもん)」をかなり意識していたようです。
“災い=鬼”が入って来ると言われていた「鬼門(きもん)」の方角である北東には、多くの城が「鬼門除け(きもんよけ)」を施していました。

「鬼門除け」には寺や神社を建てる他にも、開かずの門を作る、塀や堀を凹ませるなど様ざまな形態があったようです。

 

ここ福岡城においては、「祈念櫓(きねんやぐら)」と「水鏡天満宮(すいきょうてんまんぐう)」(2019.9.29当館ブログ「古地図から見る福岡城」をご参照ください)の2つの建物が「鬼門除け」として、城および城下町を守っていました。

 

福岡城内本丸の北東隅に立つ「祈念櫓」

 

 

さて、福岡城の祈念櫓のあるべき場所ですが、現在はこうなっています。

 

 

石垣の保存補修工事に伴い、祈念櫓の建物は解体されており、残念ながら見ていただくことはできません。
建物がないのは寂しい限りですが、三の丸のラグビー場から祈念櫓の石垣はよく見えるので、工事の過程を見ていただくことはできます。

 

 

石垣の石一つひとつが貴重な歴史の資料であり、確認しながら工事を進めていくのは大変な作業だと思われます。

石垣の保存補修工事は令和4年3月31日までの予定となっていますので、興味のある方は足を運んでみてください。

 

また、城内では梅に続き、早咲きの桜も咲いています。

 

 

散策が楽しい季節がやってきました。春めく城内にお越しの際は、福岡城むかし探訪館へもぜひお立ち寄りください。スタッフ一同、お待ちしております。

 

 

福岡城跡の梅

暦のうえでは立春を迎え、福岡城跡でも少しずつ
春の気配を感じるようになってきました。

 

二の丸の梅園では、梅の花が見ごろです。
園内は、風に吹かれほのかに甘い梅の香りがします。
新元号の「令和」になって、初めて梅の季節を迎えますね。
「令和」は大伴旅人が大宰府の地で行った「梅花の宴」で詠まれた
和歌の序文の文言を引用した元号ですが、
今年は特に梅の花が感慨深いものに感じられます。

 

石垣をバックに色とりどりの梅にも風情があります。

 

松の木坂では、水仙と梅を同時に観ることができて、
とても綺麗です。

 

2/15(土)・2/16(日)には、ここ二の丸の梅園で「梅まつり」が
開催されます。詳しくは舞鶴公園管理事務所ホームページ
まだまだ寒い日が続きますが、春の訪れを感じに福岡城跡へ
散策にお越しください(^^♪

博多松囃子

松の内、鏡開きと終わり、お正月の雰囲気もずいぶんと薄れてきました。

 

〈鏡開き〉や〈どんと焼き〉ご存知ですか?

 

でも、中国や韓国など東南アジアでは、旧暦に沿ってこれからがお正月。
春節のお休みになりますね。
今年の旧正月は1月25日とのこと。

 

 

江戸時代、旧暦のお正月には、福岡城に博多松囃子(はかたまつばやし)と呼ばれる一行が、お殿様へ新年の挨拶に訪れていたそうです。ちょうど今頃の時期ですね。

松囃子は本来小正月(旧正月15日)の行事で、新しい年に祝福をもたらす歳神様を迎える民族行事が芸能化したものです。

繁栄を祈って山から神の依代である松を伐って家に招き入れることを「松囃子」と呼び、その〝はやし〟を歌舞音曲の意に解して、芸能としての松囃子が生まれたのであろうと言われています。

 

元々京の都から各地に伝わったようで、室町時代が最盛期であり、博多では1539年の正月に松囃子が行われていたことや、1595年に当時筑前を治めていた 領主の小早川秀俊(秀秋)が博多の町衆から訪問を受けたという記録があります。

その後、福岡藩の時代には松囃子の一行が、博多の町から福岡城の藩主を訪問するようになりました。
一行は先導する笠鉾に続き、馬に乗った三福神と稚児、その後ろに「通りもん」と呼ばれる仮装をした人々や山車(だし)が続く、長いにぎやかな行列でした。

 

今でもこの祝賀、晴(ハレ)の様子を福岡城で目にすることが出来ます。
この松囃子はその後形を変え、現在の「博多どんたく」となっています。
「博多どんたく」開催期間中の5月4日には、江戸時代さながらの松囃子の一行が、福岡城へ表敬訪問し、黒田家子孫の方から〝一束一本〟を受け取る様子をご覧いただけます。

詳しくは 2019.5.6ブログ「福岡城に〝松ばやし〟がやってきた!」をご覧ください

 

「博多松囃子」はこのほど、国の重要無形民俗文化財に指定されることになりました!
旧正月の行事が長きにわたって継承され、これからも街の発展を願い続けられていく…。
晴(ハレ)の時期に相応しい嬉しいニュースですね (^^)/

福岡城天守台の初日の出と三社詣

そろそろお正月気分もなくなってきた頃かもしれませんが・・・ちょっとお正月のお話を!

令和になって初めての元旦に、スタッフ数名で福岡城天守台から初日の出を拝んできました。
綺麗な朝焼けの後、建物の間からでしたがとても力強い初日の出を見ることが出来ました。
 
天守台には、50人以上の方がいらっしゃったように思います。

 

その後、黒田家ゆかりの神社へ三社詣してきました。
まずは、黒田官兵衛・長政親子が祀られている「光雲(てるも)神社」、福岡城築城時に本丸の場所にあり、現在の天神に移された「警固神社」。
 

 

そして、福岡藩初代藩主黒田長政によって福岡城の鬼門にあたる場所に移された「水鏡天満宮」へと参拝してきました。

 

4つ目になりますが、警固神社が移されたときに一緒に合祀され、後に現在の場所に移された「小烏(こがらす)神社」にも行ってきました。

 

更に後日、福岡藩主が三社詣に訪れたと言われる神社も行ってきました!
「筥崎宮」、「住吉神社」、そして博多区山王にある「日吉神社」の三か所を訪れていたそうです。
福岡藩主黒田長政は、「筥崎宮」の「一之鳥居」を建立し、「住吉神社」の現在の社殿を再建しました。
 

 

「日吉神社」は、古くから現在の場所に鎮座され、疱瘡(ほうそう)除けの神としての信仰も集めていたので、疱瘡になったときに黒田家が訪れていたと神社の方に教えてもらいました。

 

福岡には、まだまだ多くの黒田家のゆかりの場所がございます。
まずは、福岡城跡から散策してみてはいかがでしょうか。
本年も、皆様のご来館を心からお待ちしております。

 

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