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ひも解き 鴻臚館(その2)~鴻臚館の名前の由来~

 

鴻臚館が初めて文献上(日本書紀)に現れたのは、西暦688年でした。ただ、このときはまだ筑紫館(つくしのむろつみ)と呼ばれていました(「鴻臚館」の名称が初めて出てくるのは平安時代の838年)。

 

「鴻臚館」という字は難しい漢字ですが、当時の中国に、外国から来た使節に宿舎と食事を提供し、儀礼などを取り仕切る「鴻臚寺」という役所がありました。

 

「鴻」は白鳥など大型の水鳥を表し、「大きい」という意味、「臚」には「伝える・伝達する」という意味があります。2つの漢字を合わせて「使節の到来を大きな声で伝える」というような意味だそうですが、「鴻臚館」はこの中国の「鴻臚寺」の名称を引用したと言われています。

 

ちなみに、「鴻臚館」は福岡の他、難波(大阪)と平安京(京都)の3カ所に設けられたと言われていますが、その遺構が確認され国の史跡に指定されているのは当地だけです。

 

そこでは、前面の博多湾に突き出た丘陵地に、東西約70m、南北約60mの外周塀をもつ建物が2棟建てられ(第Ⅱ期~)、その中で外国からの使節をもてなしたり、また宿坊として提供したり、さらには中国大陸に渡る遣唐使などが旅装を整えたりしたとも伝えられています。

 

使節の往来が途絶えた後、当地の鴻臚館は交易の拠点となり、1047年に放火されたとの記録を最後に歴史の表舞台から姿を消します。

 

 

現在では、世界各国からの重要なお客様をお迎えする場所は、迎賓館赤坂離宮(東京)や京都迎賓館が中心で、福岡には迎賓館はありませんが、古来より大陸と近いこともあって海外との窓口の役割を担う重要な場所であり続けています。

 

一昨年、福岡で行われた国際会議後のレセプションでは、多くの方々が鴻臚館跡展示館に集われ、約1000年ぶりに迎賓館としての役割を担いました。

 

 

次回は、「大宰府政庁」との繋がりです。いったいどんな!?

 

ひも解き 鴻臚館(その1) ~プロローグ~

 

福岡市の中心部に近く、多くの緑に囲まれた舞鶴公園。ここは江戸時代に福岡城があったところです。

その一角、平和台球場跡地の芝生広場の南側に、お城とは結び付かない大きな古風な建物が見えます。これは広く市民の方などに当地の歴史・由来などを知っていただくため、平成7年から無料で公開している「鴻臚館跡展示館」です。

 

「鴻臚館」。とても難しい漢字ですが“こうろかん”と読みます。

名前も もちろんですが、一体いつ頃、どういった役割を果たしていたものなのか知っている人はそう多くないようです。

飛鳥から平安時代の頃は、現在のお堀の近くに海岸線があったと考えられ、この地を拠点に中国大陸・朝鮮半島との外交・交易が行われていました。そして、ここから国内に新しい文化や宗教、品々が広まっていきました。

 

このような鴻臚館の歴史、役割、そして発見のきっかけなどを、これから6回にわたってご紹介します。

早速、次回は名前の由来や、役割などについてです。お楽しみに!

 

  鴻臚館跡展示館 全景

 

  館内の状況

 

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