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福岡城のお堀の蓮

季節はずれの爽やかな晴天が続いておりましたが、

いよいよ福岡も梅雨に入りましたね。

 

福岡城のお堀では蓮の葉がぐんぐんと成長し、

今にも身長を抜かれそうなほど元気に育っています。

 


上之橋御門跡付近では開花が始まりました。

例年通りですと7月に入ってから見頃を迎えます。

 

 

福岡城の堀は明治時代に勧業試験地となり、

蓮が植えられレンコンが栽培されました。

 

お堀はその後黒田家に下げ渡され、堀のレンコンの売り上げなどは

現在の修猷館や九州大学、光雲神社などの費用にあてられ、

また黒田奨学金のもとになりました。

 

 

現在のお堀では鑑賞のみですが蓮や睡蓮が植えられ、

天然記念物のツクシオオガヤツリも楽しんでいただけます。

カモも仲良くお散歩をしていました。

 

雨の福岡城も風情があり見所がいっぱいですよ。

いつもとは違った景色を探しに舞鶴公園へ、

また福岡城むかし探訪館・鴻臚館跡展示館へもお立ち寄りください。

「梅花の宴」と「鴻臚館」

令和元年がスタートしてはや一ヶ月。天平2年(730年)正月13日に開かれた「梅花の宴」で詠まれた32首の歌の序文が、新元号「令和」の典拠となり「万葉集」に収められていることが話題になりました。

 

「梅花の宴」が開かれた地に置かれた「大宰府」。

 

そこは7世紀後半から12世紀前半にかけて九州全体を司る役所でした。その出先機関『蕃(ばん)客所』に属していたのが古代の迎賓館にあたる「鴻臚館」。このふたつの施設は幅約10m、距離にして約13kmの古代官道により結ばれていました。

 

このふたつを結びつけるのは古代官道だけではないことをご存知ですか?

 

「梅花の宴」の6年後、天平8年(736年)に「筑紫館」(つくしのむろつみ、後の「鴻臚館」)で出航待ちの遣新羅使が読んだ歌も「万葉集」に収められています。

 

そしてその歌が「鴻臚館」の発見につながるのです。

 

江戸時代以降、「鴻臚館」の場所は現在の「博多区下呉服町付近説」が有力でしたが、大正15年(1926年)に九州大学の中山平次郎博士が「筑紫館」で遣新羅使が詠んだ和歌の内容から、ヒグラシが鳴く山松が生え、志賀島・荒津が同時に見渡せる場所として「福岡城内説」を唱えられました。

その後、昭和62年(1987年)に、平和台球場の外野席改修工事に伴う発掘調査で大量の出土品があり、「福岡城内説」が正しかったことが証明されたのでした。

 

大宰府政庁跡周辺には6基、太宰府市全体では40基以上も万葉歌碑がありますが、実は福岡城むかし探訪館のすぐ近くにも万葉歌碑があります。こちらがその写真です。

 

 

ネットで調べてみたら、福岡市内では大濠公園や西公園など中央区には全部で5基、博多区に1基、東区には11基、西区にも4基あるようです。

 

令和の始まりとともに万葉歌碑巡りを始めてみてはいかがでしょう?

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