扇坂再現

福岡城の日々

昨年11月より行われていた、東御門跡から梅園(二の丸)にかけての園路整備が終了しました。今回はその整備の一環として「扇坂」も再現されました。

これまでの扇坂

今回、再現された扇坂
   

下からの写真だと、扇の形が分かりにくいのですが、上から見るとこんな感じです。

「扇坂」はその名の通り、扇を広げたような形をしていることから名付けられたと言われています。このような形状の階段が城の中にあるというのは、全国でも非常に珍しいようです(仙台城にも「扇坂」が存在していたようですが、坂の下が扇状に広がっていて、福岡城とは形状が逆だったようです)。

いつの頃かその形は失われてしまいましたが、実際に扇状の階段があったことは、2016年の調査でも明らかとなっていました。扇状に地面が削られた跡が発見されています。

正保三年(1646年)に福岡藩が幕府へ提出した城絵図の控えとして伝わる「正保福博惣図」にも、扇坂が描かれており、築城初期には既に扇坂があったことが分かります。

「正保福博惣図」抜粋  地図の中央あたり、二の丸に描かれているのが扇坂です。(下は拡大図)

当時、坂の手前には扇坂御門があり、門をくぐると、扇状の階段が目の前に広がっていました。当時の様子を再現したCG画像がこちら。

しかしながらこの扇坂、なぜこの形状で造られたのかは分かっていません。
お城は防御施設であり、城の階段や通路は攻めにくく 狭く造るのが一般的。開放的かつ装飾的な感じもするこの階段を、一体なぜこの場所に、どういった目的で造ったのでしょうか?

絵図によると、扇坂は二代目の忠之の時代には既に造られていたようなので、官兵衛・長政・忠之いずれかの発案によるものなのでしょうが、戦国乱世の時代を生き抜いてきた官兵衛や長政によるものとは思えない・・・が、忠之の時代も島原の乱や長崎での異国船警備などで、福岡藩はまだまだ安定した時代に入ったとは言えなかったはず。とすると、「通路は狭く」という定石を覆し、攻めてくる敵の裏をかくようにと造られたものなのか?

天守閣の有無と併せて福岡城の謎の1つ・・・というには大げさかもしれませんが、誰が何の目的でこの扇坂を造ったのかを想像しながら散策していただくのも一興かもしれません。

現在では扇坂を上った場所には梅園が広がります。梅の花のほのかな香りとともに、紅・白・ピンクの可憐な梅の花が訪れる人々の目を楽しませてくれます。

2月10日(土)、11日(日)は、梅まつりも開催されます(詳しくはこちら)。再現された扇坂とともに、観梅をお楽しみください。

また、「福岡城むかし探訪館」「鴻臚館跡展示館」「三の丸スクエア」へもどうぞお立ち寄りください。スタッフ一同心よりお待ちいたしております。

文中紹介いたしました「正保福博惣図」の複製地図は、「福岡城むかし探訪館」及び「まゆの館」で購入することができます。ポスターサイズ(B1)で、1,500円(税込)です。

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