福岡城の木々

福岡城の日々

9月に入り城内の木々にこのような可愛らしい名札を目にするようになりました。

舞鶴公園管理事務所に問い合わせたところ、8月24日に行われたイベントに参加した子供さん12名で作られたものだそうです。講師の方から広葉樹や針葉樹、常緑樹や落葉樹など木について学んだ後に作成し、全部で約20本の木に名札を付けたそうです。

現在、舞鶴公園には、106種、約4000本の樹木(中高木)があるそうです。常緑樹はクスノキ・ツバキ・クロガネモチ、落葉樹はサクラ・ウメ・ムクノキ・エノキ、針葉樹はマツ・カイズカイブキその他にイチョウなどがあるそうです。そのうちの約1/4にあたる約1000本が土塁の上に植えられています。北側の土塁にはサクラやマツ、南西面にはクスノキ・カシ・シイの大木が多いそうです。

江戸時代はどうだったのでしょうか?

築城当初から江戸時代末までの絵図を見てみると、全ての絵図に土塁上にマツらしきものが描かれているようです。

当館の壁面の古地図にもお堀の周りやお鷹屋敷跡にもこのように描かれています。

戦国時代までは、城内から敵が攻めてくるのが良く見えるように、また木に火をつけて攻撃されないようにと山城は樹木に覆われていなかったのが、江戸時代になると今度は逆に敵から城内を隠すために土塁の上や曲輪の周りに樹木を植えたとか。

また、初代藩主黒田長政は早良郡から萩やススキを城内に運ばせたそうで、本丸と二の丸には「萩垣」があったそうです。

城内には「花畠」や「樹木所(植物曲輪)」もありました。当館の模型で見ていただくと、「花畠」は下の写真の上部、水の手の右側に、「樹木所」は写真の下部、南の丸の多聞櫓の下にありました。

二代藩主黒田忠之は三人の家臣に「上下之花畠」に椿の実を植えることや、珍しい木草花を探し尋ねて植えることを命じたそうですが、このうちの一ヶ所が水の手の「花畠」と考えられます。

史料上には「花畠」及び城内の花として、南天、紅梅豊後梅、彼岸桜、躑躅(つつじ)、牡丹、芍薬、菊も出てきます。またこの花畠を取り囲むように苦竹(にがたけ)が植えられたそうです。水の手を隠すのが目的と考えられていますが、観賞用や建築材、竹垣、竹細工にも用いられたと思われます。

寛永(1624~44)頃には「樹木所」に置かれた鉄物櫓(かなものやぐら)の下にミカン科の枳殻(カラタチ)が植えられていたそうです。この木には3㎝~6㎝のするどいトゲがあるため、外敵の侵入を防ぐ目的で植えられたと考えられています。

1713年の『山林古老伝』には城内に植えるべき草木の種類として栗・柿・ミカン・梅・藤・松・竹・桐・茶などが記されていたそうです。

1793年新造された下屋敷には「薬園」がつくられ、十代藩主黒田斉清の時にはその「薬園」には400種近くの和漢の薬草・薬木が植えられていたそうです。

明治に入り廃藩置県で福岡県庁が三の丸に置かれ、その後天神町に移転すると、「歩兵第二四聯隊」が創設されました。その正門(営門)の正面には「桃の木」が有り、その石碑を見ることが出来ます。

昭和に入り国体会場として整備されたころから、ヒマラヤシダ、メタセコイア等の外来種が植栽されたそうです。

今回名札を付けてもらったこの二本も外来種です。

ハリエンジュは北アメリカ原産です。ゴールデンウィークの頃白い花が咲き、とても良い香りがします。その季節になるとお客様に木の名前を聞かれることが度々ありましたが、これからは名札が活躍してくれることでしょう。

一方トウカエデは中国原産ですが、江戸時代に日本に渡来したそうです。現在のトウカエデの紅葉はご覧のとうりですが、これからますます美しく紅葉していきます。

散策するのにいい気候になってきました。11月末までの期間限定で土日祝日には多聞櫓の公開もしています。

城内の紅葉を楽しみながら木の名札を探しにこられませんか?

スタッフ一同お待ちしております。

(参考文献:「国史跡福岡城跡 保存管理計画」、「はかた学7 福岡城物語」、「『福岡市史』特別編 福岡城」)

 

 

 

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