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福岡城 初夏の最新情報

 

日中は汗ばむ気温の日も多くなり、半袖姿の方も目立ち始めました。城内は、緑色が濃くなり夏の花々が顔を見せ始めています。梅雨入り前に、初夏の城内散策を楽しみませんか。

 

初夏を代表する花といえば、紫陽花。下之橋御門、牡丹芍薬園、6号堀などで咲き始めています。

 

多聞櫓の真下に位置する菖蒲園。昨年整備され、遊歩道が歩きやすくなりました。紫と白のコントラストが美しい菖蒲は今が見頃です。

 

 

下之橋御門の北側では、黄色い睡蓮、それらの水面に浮かぶ葉の間を歩くアオサギ。また、6号堀ではピンクの睡蓮も楽しむことができます。

  

 

 

現在、城内では「祈念櫓」や「潮見櫓」など、各所の修復・復元作業も着々と進んでいます。

「祈念櫓」の石垣修復工事は、全体の三分の一ほどが解体されているようです。進捗状況が現場のボードで確認できますよ。

 

 

また、福岡市の文化財部のFacebookでは、石垣保存修復工事の動画を見ることができますので、

ぜひチェックしてみてください。

https://www.facebook.com/福岡市の文化財-529576117094595/

 

三の丸広場北西の「潮見櫓」復元予定地でも、5月から石垣の修復工事が始まっています。地下鉄大濠公園駅近くの明治通り沿いから、工事の様子を見ることができます。

 

福岡城むかし探訪館、鴻臚館跡展示館へもぜひ足をお運びください。

スタッフ一同、お待ちしております。

 

はや解き 福岡城 (その7)  ~お城の建物は戦争で焼けたの?~

福岡城のはや解きも、本日で最終回となりました。

今回はお城の建物がなぜ残っていないのか?焼けたのか?

について、ご紹介いたします。

 

福岡城の城内には藩主の住まいや、藩を治める役所の建物、家老屋敷、

そして、47の櫓や10の門などがありました。

「福岡城むかし探訪館」が建っているあたりも、江戸時代は家老屋敷が

並んでいたと考えられています。

 

明治時代になると、当時の政府の役職であった太政官から廃城令という

命令が出されました。(明治6年)

これに基づき、福岡城は陸軍が使用する軍用地となり、併せて従来からの

建物等で陸軍による使用がされないものについては、解体や移築されることに

なったのです。多くの櫓や門なども解体され、黒田家のゆかりのお寺に

移築されるなどして、ほとんど城内からなくなりました。

 

お城によっては、軍用地として城跡が利用されるため、石垣を壊されるところも

ありましたが、幸い福岡城の石垣は壊されずに、今でも当時の姿で残っています。

ちなみに、福岡県庁も明治4年から福岡城内に置かれていました。

 

一方、江戸時代、弓矢や槍などの様々な武器を収めていた武具櫓は、

大正時代に現在の中央区浜の町にあった黒田家の別邸に建物の大きさを変え

移設されました。しかしながら、昭和20年の空襲で焼けてしまいました。

●福岡城に在りし日の武具櫓

 

また、黒田家ゆかりのお寺といえば博多区千代にある、崇福寺が有名ですね。

黒田官兵衛・長政などのお墓があるお寺です。

ここに移築された福岡城の表御門は、幸い空襲を免れ、現存しています。

下の写真は明治時代()と現在()の表御門の姿です。

●明治初期の福岡城 表御門        ●現在の崇福寺 山門

 

その後、一部の櫓が城内に再移築されてきたり、

また、下の写真の櫓や門などが、福岡市により復元整備を目指されているところです。

やがて昔の面影がより感じられることになりそうです。楽しみですね!

●潮見櫓(再建に向け福岡市で保存中)   ●上之橋御門(明治時代の様子)

 

 

福岡城では新緑のグラデーションがきれいな初夏を迎えております。

これからの時期は菖蒲や紫陽花が見ごろを迎えます。

お散歩がてら、福岡城に、そして福岡城むかし探訪館にもお出かけください。

 

 

 

 

 

 

 

はや解き 福岡城(その6)~天守閣ってあったの?~

お城のシンボルと言えば、天守閣!その存在が謎に包まれているのが福岡城の天守閣です。

 

福岡城が描かれた地図として最も古いのが福博惣絵図です。

1646年に描かれたものですが、この地図には天守閣がなく、また福岡藩には天守閣に関する資料がないことから、長政は江戸幕府に忠誠を尽くすことを示すために天守閣を造らなかったと言われてきました。

ところが近年、天守閣の存在をうかがわせる文献がでてきました。

 

江戸時代の初期、お隣の豊前小倉藩にいた細川忠興という大名が、1620年三男忠利に宛てた書状に

「黒田長政が幕府に配慮し天守閣を取り壊すと語ったらしい」という記載があるのが発見されたのです。

また同年同じく細川忠興が家臣の松井興長に宛てた書状には

「天守閣を壊して石垣の石も大阪城の工事に持っていく」とも書かれていました。

 

さらに、築城開始の翌年、1602年に黒田長政が家臣の黒田一成に宛てた書状に、

「今月中に天守閣の柱立てを行うように命ずる」という記載がありました。

こちらは現在の福岡城の写真です。天守台に上がる最後の階段の右側にはいくつもの礎石があります。

 

 

ということは、この礎石の上には天守閣の柱が立っていたのでは!

こちらがCGを使って再現した柱の様子です。

 

 

そしてその柱の上にはこのような天守閣があったのでは?

 

 

こちらも同じくCGを使って再現したものです。

 

これらの存在を思わせる内容の書かれた古文書の発見により、実際には天守閣を造ったものの10数年で取りこわしたのでは?との議論を呼んでいます。

では、なぜ取りこわさなければいけなかったのか?そこには外様大名としての長政の立場や当時の時代背景が大きくかかわっているようです。

 

江戸時代では幕府の許可を得ずにお城の建物などを勝手に修理したりすると領地を取り上げられました。

1619年福島正則が無断で城を修理したため、広島藩49.8万石から高井野藩(信濃高井郡2万石 越後魚沼郡2.5万石の合わせて4.5万石)へと減封の上移封となりました。

軍事施設としての城の増改築はお家取りつぶしにもつながるため、黒田家をはじめとする外様大名は幕府に対して非常に気を使ったとのこと。

 

また戦国時代が終わりをむかえ、徳川幕府の世が安定期に入ると、幕府は全国の諸大名に命じ大阪城や名古屋城など天下普請が盛んに行われるようになり、藩の財政は苦しくなる一方でした。

1638年島原の乱の功績に対して「天守閣などを建設(再建)されたいときもあるだろうから、そのときは将軍様のご意向を得られるが良い・・・」と、幕府からの申し出が書かれた古文書も見つかりましたが、再建された事実はありません。

 

このように、天守閣の存在は謎ですが、城内には櫓や門など多くの建物がありました。

しかしながら、現在残っている建物はほとんどありません。どうしてなのか?

答えは次回の「お城の建物は戦争で焼けたの?」で!

 

 

 

 

 

はや解き 福岡城(その5)~大濠公園の水はしょっぱいって本当?~

ジョギングや散策、レンタルボートなどで多くの人たちが楽しむ全国屈指の水景

公園、大濠公園。広さは39万8千平方メートル(福岡PayPay ドーム約6個分)あ

り、そのうち半分以上の広さを池が占めています。

 

 

このシリーズの「その4」でもお話しましたが、福岡城は周囲をぐるりと堀で囲

まれていて、福岡城の西側に位置する大濠公園もまた、福岡城の堀の一部でした。

 

 

福岡城が築かれた頃は、大濠公園のある一帯は博多湾へとつながる入り江でした

が、築城する際にその北側部分を埋め立てて町を造るとともに、入り江となって

いた部分をそのまま堀として利用しました。

「大きな堀」だったので「大堀」です。この「大堀」の字が「大濠」へと変わった

のは明治時代以降です。

 

一方、築城の際、お城を囲む堀は、肥前堀などを掘削して福岡市の中心部・中州の

そばを流れる那珂川まで繋げました。これにより、那珂川から取り込まれた水は

城の周囲を巡って、大堀につながる黒門川から博多湾へと流れ出ました。

このように福岡城は川の水を巧みに利用して、堀の水を循環させていたのです。

 

また、これに伴い元もと大堀に流れ込んでいた樋井川(ひいがわ)は、二本の

河川からの流水により堀の水が溢れるのを防ぐため、進路は鳥飼付近で大きく西へと曲げられました。

 

明治時代に入り、那珂川とつながっていた肥前堀などは埋め立てられ、そこは市

役所や商業施設用地として利用され、大堀も昭和2年の「東亜勧業博覧会」の会場と

なった際に埋め立てられて、以前の半分の大きさとなりました。その後、公園とし

て整備され「大濠公園」が誕生しました。

 

さて、現在の大濠公園の水はしょっぱいのかどうか?

水の成分を実際に測定すると、ほぼ真水だそうですが、詳細な分析では、築城前ま

では博多湾の入り江だったことなどから、今でもほんの少し塩分も検出されるようです。

 

現在、大濠公園の池の水は浄化装置により浄化されていますが、飲むことはできません。どのくらいしょっぱいかな!?とこっそり舐めたりしたらダメですよ!

 

次回は、福岡城最大のミステリー「天守閣ってあったの?」です。お楽しみに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はや解き 福岡城(その4)~福岡市地下鉄は石垣を目覚めさせた?~

福岡城はとても攻めにくいお城だったと言とわれていますが、その理由の

一つに、常に周囲を水で囲まれるようにした「水堀」があったからです。

その堀の幅は、上之橋から下之橋では60mから70mあったとされ、

他藩の城と比べても広く、このように内郭を幅の広い一重の堀で取り囲む

例は、近世城郭ではあまり見られないものだと言われています。

 

しかしながら、明治43年に市内電車をこの辺りの前面の道路上を走らせる

ときに、その一部堀が埋め立てられ、2/3程の幅になりました。

軌道が敷設され、路面電車が走ることにより荒戸・黒門・地行一帯が

賑わいをみせるようになったようです。

 

その後、昭和51年に同道路下での地下鉄工事の際に、埋められていたお堀の

石垣が発見されました。長政公が築造して約400年後に再びこの石垣が脚光を

浴びることになったのです。凄いですね!! 一時は地下鉄の路線変更の話も

出たようですが、現実的には変更の余地はありませんでした。その一方で

発見された石垣を「部分保存」することになりました。

 

この福岡城跡堀石垣は、明治通りの赤坂交差点から西へ2分ほど歩いた

ところで見ることができます。毎週土曜と日曜日午前10時から午後5

に公開しています。入場無料です。

興味がある方はそちらにもお出かけください。

水中に沈んでいた石垣で、実際に見るとかなり迫力があります。

そして、当時の福岡城があった時代にタイムスリップした気分を

味わうことができるかもしれません(^^)/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次回は「大濠公園の水はしょっぱいって本当?」です。

大濠公園の水について詳しくなるかも!? こちらも楽しみにしてくださいね!

はや解き 福岡城(その3)~福岡城は山の一部を利用したって本当?~

 

関ケ原の戦いの後、豊前の中津藩からこの福岡(筑前)の地に転封された黒田家。

一旦、前領主の小早川秀秋の居城だった名島城に入城します。

しかし元々あった名島城は手狭で、発展していた「博多」の町からも遠かったことから新しい城を築くことにします。

 

まず4か所の候補地が挙がります。

1つ目は現在の博多区住吉神社の付近、2つ目は東区箱崎、3つ目は現在の西公園辺りの中央区荒戸山です。

そして最終的には土地の形状や、お城の防御などの点なども考え、現在の場所である当時福崎(ふくさき)と呼ばれた所に決まります。

 

このシリーズの「その1」にもありますが、福岡城の敷地は高さの違う4つの層が重なった形で構成されています。

実際の福岡城は広いため、一目で高さの違いを見ることは出来ませんが、この福岡城むかし探訪館内にある1/400スケールの模型をご覧いただくと良く分かります。(以下は模型写真です)

三の丸(標高5~8m)→二の丸(〃16~18m)→本丸(〃23m)の順に高くなり、1番高い所が天守台(〃36m)となります。

ではこの4つの高さの違い、実際どのようにして作ったのでしょうか?

 

通常、高さの違う台地を作るには盛り土という、土を積み上げて段階的に高さを変えていく方法があります。

しかし福岡城は少し違いました。

 

この福崎の地は北側は海、南側には小高い山が連なる丘陵地でした。

その丘陵地、赤坂山から続く自然の地形を最大限に利用します。

傾斜地を削りながら、また場所によってはその削った土を使用し、盛り土をして4つの層に整地していったのです。

 

また、お城の南側の丘陵地の一部は切り落として堀や平地を造りました。

お城の南側は水堀から三の丸まで急な斜面となっています。

 

元々の自然の山を利用して作られたお城。

高い所にある本丸には、山の水脈を利用したと思われる井戸が三か所残っており、今でも水を湛えています。

 

次回は「早解き福岡城(その4)~福岡市地下鉄は石垣を目覚めさせた?~」です。

はや解き 福岡城(その2)~福岡の本家は他所に?~

第1回目でも述べましたように、初代福岡藩主黒田長政は関ヶ原合戦で手がらをたて、徳川家康から筑前(現在の福岡)を与えられました。

ここから『福岡』という名前の歴史が始まっていきます!

それはなぜでしょう?

 

それまで、現在の福岡城のあたりは「福崎」と言われていました。

黒田官兵衛・長政親子が築城する際に、初めて「福岡」という名前が付いたのです。

 

さて、この「福岡」という名前は、どこからきたのでしょうか。

定説では、黒田家の故郷に因み付けたと言われています。

黒田家の故郷と言われる「福岡」は、現在の岡山県瀬戸内市で岡山市の東隣の市です。

現在でも黒田家ゆかりの場所があり、「福岡」という名前も多く残っています。

「福岡」の名前の本家は、岡山だったのですね。

「備中福岡城跡」というのもありますよ。

岡山なのに、福岡城。不思議ですね。

 

ところで、福岡の町は「福岡」と「博多」と両方使われていますが、どのように分かれているかご存知ですか?

福岡市の中央部、夜の繁華街である「中洲」を流れている「那珂川」。

この川から東側、古くから町人たちのまちとして栄えていたのが「博多」。

一方、官兵衛・長政が新しくお城を中心につくったまちが「福岡」でした。

 

江戸時代、その「福岡」と「博多」を分けていた門があります。

築城の際、那珂川沿いに架けた橋を渡った「福岡」側に石垣を築き作った「枡形門(ますがたもん)」です。

「博多」の町から入る人は、この門で検問を受け、武士の町「福岡」に関係のない人は入ることが出来ませんでした。

下の古地図の赤い丸印の場所が「枡形門」で、その下が明治時代の古写真です。

 

「天神」と「中洲」に架かる橋を通るときには、ここから「福岡」「博多」などを感じてみるのも楽しいかもしれませんね。

 

次回は『福岡城は 山の一部を利用したって本当?』というテーマです。お楽しみに!

 

はや解き 福岡城(その1)~福岡城とは~

「福岡城むかし探訪館」では、福岡城跡に来られた皆様にお城の概要の説明や、

回遊のご案内をしております。

 

しかしながら、今月の31日まで休館の予定ですので、ご自宅で福岡城の概要を

手軽に知っていただこうと、今回を始め7回シリーズでブログにより福岡城の

ご紹介をすることにしました。

 

 

福岡城は、黒田長政が関ヶ原の合戦で大きな手柄をあげたため、徳川家康から

この福岡の地(当時は筑前)を拝領しました。

以前の中津藩123千石から、523千石への大出世です。

 

その頃は、秀吉から天下を取るほどの器量をもつと恐れられていた父 官兵衛

(如水 じょすい)も生きておりましたので、二人で築いたと言われております。

(ただ、江戸にいる長政が自分の臣下に、親父が地元でいろいろ口出しをするだ

ろうが、自分のいうことだけを聞いていれば良いと言ったとか…いつの時代も同じですね)

 

お城は、他の地域でも一緒ですが、戦国時代が落ち着くと平地に城を築くのが

一般的になっており、福岡城も平地・湿地帯を利用して築城しました。

広さは福岡PAYPAYドーム7個分 (41万㎡)、東西1km、南北700mという広さです。

 

高さ的には三の丸、二の丸、本丸、そして天守台の四層構造です。

その間はもちろん至るところに石垣を築き、とても攻めにくいお城だったようです。

石垣の石は、元寇防塁、当初入城していた名島城、そして糸島半島にある可也山

(かやさん)などから運んできました。

 

周囲に巡らせたお堀には、約1.5km離れている福岡市の中心部を流れている那珂川

から水を引いて、博多湾に流し出しました。

 

これらの大工事を、ブルドーザーやダンプカーがない時代にたった7年間で完成させました。

すごいですね。大きな機械がないので、人を多く使ったのでしょうね。それだけ

藩主の力が大きかったということですね。

 

次回は 「福岡」の本家は他所に? というテーマです。是非楽しみにしてください。

 

      

黒田官兵衛(如水)                                                  黒田長政

お待たせしました!開館です!!

2月27日から臨時休館しておりました「福岡城むかし探訪館」

「鴻臚館跡展示館」ですが、3月21日より開館いたしました。

開館を心待ちにしていただいていたお客さま、お待たせいたしました!

 

そして、開館に合わせたかのように、福岡城跡の桜も開花し始めました。

今年は暖冬だったため、桜の開花も早まるかと思われましたが、

ほぼ例年どおりの開花となりました。

 

新型コロナウイルス感染拡大防止のため、「福岡城桜まつり」は残念ながら中止

となりました。恒例の出店や夜間のライトアップなどはありませんが、城内を

自由に散策していただくことはできますので、ぜひ満開の桜を見にお越しください。

見頃は3月下旬で、あと1週間ほどで満開となりそうです。

 

また、「鴻臚館跡展示館」では、現在、遺構の修復作業を行っております。

展示館に一歩足を踏み入れるとすぐ目前に広がる巨大な遺構に、

来館者の皆様は一様に驚かれ、「本物ですか?」との質問をよく

受けますが、もちろん本物です!

 

発掘作業が終了した他の遺構は埋め戻されていますが、展示館部分の

遺構は覆い屋を建て、発掘された品々とともに公開しています。

今回の作業では、遺構の周囲の壁から浸水してくる水を外部へ排出

するための管を埋め込んでいます。

 

現在の遺構の修復作業は3月31日までの予定です。修復作業中も展示館は

通常通り開館していますので、作業の様子もあわせてご覧ください。

 

お馬さんたちも「福岡城むかし探訪館」横で待っています!

乗馬とお花見を同時に楽しみませんか?

「福岡城サムライライディング」につきましては、

詳しくは城内イベント情報をご覧ください。

 

 

コロナウイルスの感染が収束に向かい、国内外から多くのお客様に

お越しいただける日が早く来ますように、スタッフ一同願っております。

祈念櫓はどこへ?

家の立地場所決めや部屋のレイアウトを行う際、「風水」は気になりますか?
戦国時代において、多くの大名たちが城を建てる際には「鬼門(きもん)」をかなり意識していたようです。
“災い=鬼”が入って来ると言われていた「鬼門(きもん)」の方角である北東には、多くの城が「鬼門除け(きもんよけ)」を施していました。

「鬼門除け」には寺や神社を建てる他にも、開かずの門を作る、塀や堀を凹ませるなど様ざまな形態があったようです。

 

ここ福岡城においては、「祈念櫓(きねんやぐら)」と「水鏡天満宮(すいきょうてんまんぐう)」(2019.9.29当館ブログ「古地図から見る福岡城」をご参照ください)の2つの建物が「鬼門除け」として、城および城下町を守っていました。

 

福岡城内本丸の北東隅に立つ「祈念櫓」

 

 

さて、福岡城の祈念櫓のあるべき場所ですが、現在はこうなっています。

 

 

石垣の保存補修工事に伴い、祈念櫓の建物は解体されており、残念ながら見ていただくことはできません。
建物がないのは寂しい限りですが、三の丸のラグビー場から祈念櫓の石垣はよく見えるので、工事の過程を見ていただくことはできます。

 

 

石垣の石一つひとつが貴重な歴史の資料であり、確認しながら工事を進めていくのは大変な作業だと思われます。

石垣の保存補修工事は令和4年3月31日までの予定となっていますので、興味のある方は足を運んでみてください。

 

また、城内では梅に続き、早咲きの桜も咲いています。

 

 

散策が楽しい季節がやってきました。春めく城内にお越しの際は、福岡城むかし探訪館へもぜひお立ち寄りください。スタッフ一同、お待ちしております。

 

 

福岡城跡の梅

暦のうえでは立春を迎え、福岡城跡でも少しずつ
春の気配を感じるようになってきました。

 

二の丸の梅園では、梅の花が見ごろです。
園内は、風に吹かれほのかに甘い梅の香りがします。
新元号の「令和」になって、初めて梅の季節を迎えますね。
「令和」は大伴旅人が大宰府の地で行った「梅花の宴」で詠まれた
和歌の序文の文言を引用した元号ですが、
今年は特に梅の花が感慨深いものに感じられます。

 

石垣をバックに色とりどりの梅にも風情があります。

 

松の木坂では、水仙と梅を同時に観ることができて、
とても綺麗です。

 

2/15(土)・2/16(日)には、ここ二の丸の梅園で「梅まつり」が
開催されます。詳しくは舞鶴公園管理事務所ホームページ
まだまだ寒い日が続きますが、春の訪れを感じに福岡城跡へ
散策にお越しください(^^♪

博多松囃子

松の内、鏡開きと終わり、お正月の雰囲気もずいぶんと薄れてきました。

 

〈鏡開き〉や〈どんと焼き〉ご存知ですか?

 

でも、中国や韓国など東南アジアでは、旧暦に沿ってこれからがお正月。
春節のお休みになりますね。
今年の旧正月は1月25日とのこと。

 

 

江戸時代、旧暦のお正月には、福岡城に博多松囃子(はかたまつばやし)と呼ばれる一行が、お殿様へ新年の挨拶に訪れていたそうです。ちょうど今頃の時期ですね。

松囃子は本来小正月(旧正月15日)の行事で、新しい年に祝福をもたらす歳神様を迎える民族行事が芸能化したものです。

繁栄を祈って山から神の依代である松を伐って家に招き入れることを「松囃子」と呼び、その〝はやし〟を歌舞音曲の意に解して、芸能としての松囃子が生まれたのであろうと言われています。

 

元々京の都から各地に伝わったようで、室町時代が最盛期であり、博多では1539年の正月に松囃子が行われていたことや、1595年に当時筑前を治めていた 領主の小早川秀俊(秀秋)が博多の町衆から訪問を受けたという記録があります。

その後、福岡藩の時代には松囃子の一行が、博多の町から福岡城の藩主を訪問するようになりました。
一行は先導する笠鉾に続き、馬に乗った三福神と稚児、その後ろに「通りもん」と呼ばれる仮装をした人々や山車(だし)が続く、長いにぎやかな行列でした。

 

今でもこの祝賀、晴(ハレ)の様子を福岡城で目にすることが出来ます。
この松囃子はその後形を変え、現在の「博多どんたく」となっています。
「博多どんたく」開催期間中の5月4日には、江戸時代さながらの松囃子の一行が、福岡城へ表敬訪問し、黒田家子孫の方から〝一束一本〟を受け取る様子をご覧いただけます。

詳しくは 2019.5.6ブログ「福岡城に〝松ばやし〟がやってきた!」をご覧ください

 

「博多松囃子」はこのほど、国の重要無形民俗文化財に指定されることになりました!
旧正月の行事が長きにわたって継承され、これからも街の発展を願い続けられていく…。
晴(ハレ)の時期に相応しい嬉しいニュースですね (^^)/

福岡城天守台の初日の出と三社詣

そろそろお正月気分もなくなってきた頃かもしれませんが・・・ちょっとお正月のお話を!

令和になって初めての元旦に、スタッフ数名で福岡城天守台から初日の出を拝んできました。
綺麗な朝焼けの後、建物の間からでしたがとても力強い初日の出を見ることが出来ました。
 
天守台には、50人以上の方がいらっしゃったように思います。

 

その後、黒田家ゆかりの神社へ三社詣してきました。
まずは、黒田官兵衛・長政親子が祀られている「光雲(てるも)神社」、福岡城築城時に本丸の場所にあり、現在の天神に移された「警固神社」。
 

 

そして、福岡藩初代藩主黒田長政によって福岡城の鬼門にあたる場所に移された「水鏡天満宮」へと参拝してきました。

 

4つ目になりますが、警固神社が移されたときに一緒に合祀され、後に現在の場所に移された「小烏(こがらす)神社」にも行ってきました。

 

更に後日、福岡藩主が三社詣に訪れたと言われる神社も行ってきました!
「筥崎宮」、「住吉神社」、そして博多区山王にある「日吉神社」の三か所を訪れていたそうです。
福岡藩主黒田長政は、「筥崎宮」の「一之鳥居」を建立し、「住吉神社」の現在の社殿を再建しました。
 

 

「日吉神社」は、古くから現在の場所に鎮座され、疱瘡(ほうそう)除けの神としての信仰も集めていたので、疱瘡になったときに黒田家が訪れていたと神社の方に教えてもらいました。

 

福岡には、まだまだ多くの黒田家のゆかりの場所がございます。
まずは、福岡城跡から散策してみてはいかがでしょうか。
本年も、皆様のご来館を心からお待ちしております。

 

幻想的な福岡城

紅葉のシーズンが終わり葉も落ち、

石垣が見渡しやすい冬がやってきました。

福岡城跡では、

2019年11月29日(金) ~ 2020年2月2日(日)まで

『 チームラボ 福岡城跡 光の祭 』が開催中されています。

 

福岡城は石垣の素晴らしさから、別名「 石城 」ともよばれています。

日中のクールでモノトーンな世界から、

夜は幻想的でカラフルな石城へ変貌します。

 

*本丸

冬の空気で よりキリッとした印象。

*天守台下 右手

石垣を登ると右手に八咫烏(やたがらす)がたくさん現れました。

福岡城とゆかりのある小烏神社のご祭神でもあります。

石垣から私たちをを見守ってくれているようですね。

 

*天守台から見た本丸

手前の鉄御門(くろがねごもん)跡の石垣

遠くに見えるマンションと、

時代の移り変わりに思いをはせることができます。

 

*天守台 石垣

様々な動物が今にも飛び出しそうな勢いです。

石垣がスクリーンのようでした。

 

 

*お絵かき黒田官兵衛

こちらは福岡城にちなんだイベントです。

色を塗った官兵衛たちが踊りだします♪

 

こちらは黒田官兵衛(左)と長政(右)親子

なにやら秘密の相談でもしているのでしょうか・・

 

詳しいイベント情報はこちら

 

そして日中は福岡城跡の予習がてら

「 福岡城むかし探訪館 」、また 「 鴻臚館跡展示館 」にもお越しください。

スタッフ一同、お待ちしております。

 

 

ラグビーワールドカップと舞鶴公園

ラグビーワールドカップ、盛り上がりましたね。

 

日本のベスト4をかけた試合が行われた10月20日、舞鶴公園でもパブリックビュー

イングが行われ、日本代表のジャージーを着たファンなど約3200人(主催者発表)

が詰め掛けたそうです。

 

この期間は海外からのお客さまも舞鶴公園内にある当館、及び鴻臚館跡展示館に

たくさん来ていただきました。

 

今年と昨年の9月10月の外国人来館者数を比べてみると、当館で約3倍に、

鴻臚館跡展示館では約2倍になりました。。

 

海外からのお客様には、福岡城や鴻臚館はどのように映るのでしょうか?

 

先日タブレットツアーに参加されたアメリカ人のご夫婦に話を聞いてみました。

 


 

福岡城の石垣を見て、スコットランドにあるエディンバラ城やアーカート城を思い

出す、とのこと。

ネットでエディンバラ城を調べてみたら、「Castle Rock」という言葉が出てきて

びっくり!!

実は、福岡城は石垣が素晴らしいので、「岩」ではありませんが、「石城」とも

言われているからです。

 

また、石段の高さにも、それぞれ異なる仕掛けがあることがわかりました。

 

城内の石段は 武士が普段、袴を着て上がれますが、鎧を身に着けたらその重さで

足が上げにくい高さで作ってあるのに対して、スコットランドでは、同じペースで

上がっていったら途中でつまずくように、ところどころで階段の高さに変化を持た

せて造っているそうです。

 

アメリカのゲティスバーグにも南北戦争の時に盛り土で築いた土手があるそうで、

福岡城の土塁を見て、場所と時代は違っても、防衛の仕方は似てると思ったそうです。

 

一方、鴻臚館に来られたイギリスの客さまは、

「自分が住んでいる所にも遺構がある。トイレ(bathroom)ではなく、お風呂

(bath)だけど!」と、その遺構の名前を書いたメモを残して去っていかれました。

 

お風呂の語源にもなっているバース にある「The Roman Baths」という遺構でした。

 

鴻臚館跡展示館では、古代の人が使っていたトイレットペーパーを見ることができます。

というのは、トイレの遺構が発掘されたからです。

鴻臚館広場のこの辺りです。

 


 

カナダから来られたお客さまは、この赤でマークしてある所までわざわざ行かれ

て、トイレのポーズで記念撮影をされていました。

 

ドイツでは、今でも土を掘ったら、ローマ帝国時代のものが出てくると話してくだ

さったお客様もいらしゃいました。

同様に、隣接する裁判所跡の発掘調査で何か見つかるといいですね。

 

海外からこられたお客さまのお声を聴き、二重の国史跡の指定を受けている舞鶴公

園には世界の歴史と重なるものがあることがわかりました。これからも、もっと多

くのお客様のお話をきいて、新しい発見が出来ればと思います。

 

これから寒くなりますが、歴史を感じに散策にこられませんか?

スタッフ一同、「ONE TEAM(ワンチーム)」でお待ちしております。

 

 

 

親子で大発見!?~お城のウラはワクワクビックリ~

11月17日(日)、親子で福岡城を巡るイベントを開催しました。

天候にも恵まれ、小学生25名を含む総勢57名のお客様に

参加いただきました。


 

福岡城は、残念ながら建物はほとんど残っていませんが、

縄張りや石垣は江戸時代からほぼそのままのかたちを留めており、

それが見どころの一つでもあります。

今回の親子ツアーは、福岡城の歴史とともに、「石城」とも呼ばれた福岡城の

立派な石垣を見ていただき、石垣についても学んでいただこうという初の試みです。

  

 

ふだん皆様にご案内しているいわゆる「表ルート」ではなく、「裏ルート」を探検!

実験やクイズなども楽しみながら、土塁の上などが歩ける穴場スポット(?)

でもある福岡城の裏側を回りました。

 

福岡城で見られる主な石垣は、「野面(のづら)積み」「割石(わりいし)積み」

「算木(さんき)積み」の三種類です。

石垣のそれぞれの特徴や、どの石垣が城内のどの場所で使われているかを

学びながら、石垣地図も作成しました。

 

多聞櫓の中にも入りましたよ!

 

足場の悪い場所もたくさん歩きましたがケガもなく、約1時間半のツアーも無事終了。

福岡城の歴史や石垣について詳しくなれたかな?!

 

冬になると木の葉が落ちて石垣がもっときれいにみえるようになります。

ぜひ、福岡城へお越しいただき勇壮な福岡城の石垣をお楽しみください。

スタッフ一同、お待ちしております。

 

秋の福岡城跡と鴻臚館跡

 

肌寒く感じる日々が増えてきました。

暦の上では立冬を過ぎましたが、紅葉の見頃は

これからですね。

福岡城跡・鴻臚館跡では、秋と冬を同時に感じる

様々な場所があります。

今回はそんな風景をご紹介いたします。

 

城内本丸のもみじです。

少しずつ赤く色づいています。

 

本丸の井戸横にある銀杏と、平和台陸上競技場西側の銀杏並木です。

福岡城跡には銀杏の樹が沢山ありますよ!

 

お堀には蓮の果托(かたく)がぷかぷかと浮かんでいました。

蓮の花が開き、中心部の「花托」部分は、花が咲き終わると

「果托」に変化します。

また、この果托がハチの巣みたいなので、「ハチス」

から「ハス」と呼ばれるようになったという説もあります。

 

鴻臚館広場付近の樹木も色づいています。

そして、広場から空を見上げると、空がとても近くに感じられます。

 

まだまだ、秋を感じる場所は沢山あります。

お気に入りの秋スポットを見つけに、福岡城跡・鴻臚館跡に

遊びに来られませんか(^^)/

 

 

秋の福岡城跡はイベントがいっぱい!

福岡城内では「福岡城下町サムライフェア」を113日(日)まで開催しています!

 

1013日には、福岡城のお堀だった大濠公園の「ロイヤルガーデンカフェ大濠公園」で“Wine & Jazz Night in Ohori Park”が開催されました♪

美しいお月様と景色を観ながら素敵なジャズを聴いて、美味しい食べ物と飲み物!

皆さん、柔らかい雰囲気の中でとても楽しまれていました。

 

また、現在多くの方が参加されている「福岡城なぞ解きゲーム」は、11月2日、3日に三の丸スクエアでガラガラ抽選会があります。

今から始めても間に合いますよ!

解答用紙に答えを書いて、空くじなしの豪華賞品をゲットしてくださいね。

これからも、112日「福岡城お城たんけん」、1117日「親子で大発見!?」の親子イベントや113日「秋の公園で遊ぼう」と「福岡おもてなし武将隊と城めぐり」など、まだまだイベントが続きます☆

「福岡城むかし探訪館」横の茶房「光姫(てるひめ)」での、期間限定の“わぴおか”も113日まで、土日に販売しています。

 

秋の気配が少しずつ増えてきた福岡城跡に、足を運んでみてはいかがですか?

 

サムライフェアの詳細は、こちら

 

 

福岡城下町 サムライフェア 秋の陣が始まりました

 

早くも10月です。令和元年も残すところ3ヶ月。
でも、まだ蝉の鳴き声が聞こえたり..季節がよく分からない雰囲気ですが…。

暦の上ではすっかり秋!外で過ごすのには良いシーズンの到来です。
そこで!福岡城・舞鶴公園~大濠公園周辺エリアへのお出掛けを楽しんでいただけるイベントを開催中です!!

 

詳しくはこちら⇒https://yokanavi.com/event/180486/


10/5(土)より11/3(日祝)までの約1ケ月、様ざまな催しを企画しています。

 

オープニングの10/5(土)には鴻臚館跡展示館内で「VRサムライ体験ゲーム」が行われました。
専用のゴーグルを付け、刀代わりのコントローラーを手に持ち、向かってくる敵と戦います。

この日一日だけの催しでしたが、100名以上の方が参加をされました。

 

他にも着物で乗馬体験、てのひら盆栽づくりat多聞櫓、またオリジナルフードの販売などもありました。

写真は練り物の販売。

へし切長谷部や日本号が描かれたデコレーションかまぼこです。
購入された方には、御城印もお渡しされていました。

 

探訪館横では賑やかなステージを皆さま楽しまれていました。

 

お天気にも恵まれた週末、今後も10/13(日)にはWine&JazzNight、10/20(日)には秘密のパワースポットをめぐる「着物de福岡城めぐり」なども開催予定です。

また豪華賞品が当たる「福岡城なぞときゲーム」などイベント期間を通してのお楽しみもあります。

 

是非、福岡城跡・大濠公園へ遊びにお越しください!!

古地図から見る福岡城

少しずつ日暮れの時間が早くなり、うろこ雲や虫の音からも秋の気配を感じますね。
福岡城跡や周辺へ散策にも良いシーズンになってきます。

「福岡城むかし探訪館」では、館内に入ると足元に古地図が広がっています。
今回は黒田家や現在の私たちに関わり深い神社をご案内します。

 

〇警固神社

もともと現在の福岡城天守台跡にありました。

福岡藩初代藩主・黒田長政が福岡城を築く際、警固神社は本丸にあたる場所だったので、現在地に移しました。

天神のど真ん中で、私たちにもなじみの深い神社ですね。

 

〇水鏡天満宮

太宰府に左遷されて博多に着いた菅原道真は、今泉辺りを流れていた四十川(しじゅうがわ・現在の薬院新川)の水面に映った自身のやつれた姿を見て、嘆き悲しんだといいます。

これにちなんで今泉に建てられた容見(すがたみ)天神は、福岡藩初代藩主・黒田長政によって水鏡天満宮として福岡城の鬼門にあたる現在地に移されました。

ちなみに「天神」とは菅原道真のことであり、このときの移転が天神の地名の由来です。

みなさんご存知でしたか?!

 

目を凝らして古地図を見てみると、現在にもつながる場所や地名などがいくつも描かれていて、黒田家がいかに福岡に関わっていたかが分かりますね。

みなさまも古地図を見ながらいにしえの城下町に思いをはせ、福岡城周辺の散策のご予定を立てられてはいかがでしょうか?

 

 

「福岡城むかし探訪館」、「鴻臚館跡展示館」のある舞鶴公園では、

10月5日(土)~11月3日(日・祝)まで、

『福岡城下町 サムライフェア』が始まります。

こちら

 

行楽の秋に福岡城跡へ散策に来られませんか?

皆さまのお越しをお待ちしております。

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