夏の風物詩と言えば、海、花火、スイカとそして・・・怪談話。

本日は、福岡城に残る怪談話で涼んでいただきましょう。

 

福岡藩の2代目藩主、黒田忠之は参勤交代の帰りに采女(うねめ)という芸者を

連れ帰ります。しかし家老に諌められ、采女はお側役の浅野史郎左衛門に

下げ渡されました。浅野には妻のお綱と2人の幼い子供がいましたが、

この采女に入れあげ、妻子は下屋敷へと追いやり、生活費も渡さなくなっていきました。

 

桃の節句の日、お綱は娘のために何か支度をと本宅へ下男を使いに出すも、

冷淡にあしらわれ、下男はお綱に申し訳ないと自害。

それを知ったお綱は気が狂い、2人の子供を刺し殺し、なぎなたをかまえて

屋敷へ走りますが、夫は登城で不在。

お綱は屋敷にいた浪人の明石に切りつけられますが、髪を振り乱し、

血まみれになりながら城へと向かいます。しかし、城門の手前で力尽き、

門に手をかけたまま息絶えたとのことです。

 

扇坂付近案内板より

 

この門が「お綱門」と呼ばれ、柱に触れると熱病に罹り、夜中にうなされる、

またお綱門近くの草木を持ち帰ると祟りがあると語り継がれています。

 

このお綱門がどの門を指していたのかはわかっていません。

東御門説、扇坂御門説、その2つの間に別の門があったとの説もあります。

 

東御門跡

 

扇坂御門跡

 

加藤清正に難攻不落と言わしめたこの福岡城ですが、

お綱さんがどうやって厳しい警備をくぐり抜け、

東御門または扇坂御門までたどり着いたのかはミステリーではあります。

 

しかしこのお綱門、祟りのある門として長宮院(福岡大空襲で焼失、

跡地は現在福岡高等・地方裁判所)に納められ、お綱さん母子の墓も

下屋敷のあった馬出の枯野塚に建てられていることから、

このお綱門の怪談話はただの噂話や伝説とも言えないようです。

 

「福岡城むかし探訪館」では、福岡城の概要と散策コースなどの

ご案内をしています。散策前に立ち寄っていただくと、

お城についてより深く理解していただけますよ。

 

皆さまのご来館をお待ちしています。